タフィ・ローズを捜しています

80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。最愛の野球選手であるタフィ・ローズに再会するその日まで。

プロ野球カード記録 その16

プロ野球カード記録 16回目。

5月病たけなわ、冒頭のあいさつもそこそこにカード記録を始めたい。

 

福岡ダイエーホークス

背番号 27

吉永 幸一郎

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1994年ベースボールマガジン社製カード。

南海末期に入団して以来、90年代ダイエーのアイコン的選手となったひとりではないだろうか。個人的にはメガネをかけた吉永捕手の姿がなじみ深い。

90年代中期以降はこのカード写真よりもさらにコロっとした体格で、キャッチャーフライを取り損ねる姿などが珍プレー好プレー番組で取り上げられたり、かわいらしいイメージもあった。

2019年春現在、福岡で会社員をしながら中学公式野球チームのコーチをされているようだ。

 

余談だが、現在ソフトバンクホークスにてブルペンキャッチャーを務める、内之倉隆志さんという方がいらっしゃる。

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格安スマホカメラでの撮影でわかりにくいが、メガネ姿に恰幅のよい内之倉さんの防具姿をメットライフドームなどのオープン・ブルペンで拝見するたび、いつも吉永捕手を思い出す。

吉永捕手も、内之倉さんも長く野球の世界でご活躍されますよう。 

 

 

阪神タイガース

背番号 3

八木 裕 

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1992年ベースボールマガジン社製カード。

私がどっぷりと阪神にハマりはじめた90年代初頭は、打順6番、7番あたりに定着していたように記憶しているが、亀山・新庄両若手選手の活躍にしたがい代打起用される機会が増えた。期待に応えるバッティングセンスで代打の神様と呼ばれるまでになった、90年代を代表する虎戦士のひとりである。

八木選手に関しては、プレーもさることながら、応援歌も大好きだった。 

 

いざ行かんや

萌え立つ大地に

さあ八木裕

勝利を目指して

 

まずあたまの「行かんや」がイカす。

メロディーもよかった。私が「オッサンコーラス」と呼んでいるビブラートの効いた男声リードボーカルと"中濃"な感じのオーケストラ編成は、当時小学生だった私の心をつかんで離さなかった。(オッサンコーラスの歌声は動画サイトでも視聴できる)

 

公式CDは今も実家にある。

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1993年当時の主力選手ラインナップ。

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取り急ぎ撮影したため、どの画像もぶれてしまっているが、きちんと作詞作曲者名も記載されている。また実家に帰った時に再度撮影し直し、各歌詞を掘り下げてみたい。

当時流行し始めたSMAPなどのアイドルそっちのけでこの応援歌CDをヘビロテし、年に1~2回程度しか行けなかった甲子園ライトスタンドでの観戦時に、覚えた歌をメガホンを打ち鳴らしながら歌うのは最高に楽しかった。

チームは違えど、今も野球場では、外野スタンドの応援団が近い席での観戦にこだわっている。これは当時の思い出が強く心に根付いているからだ。 

八木選手ご本人から話がだいぶそれてしまったが、野球選手というのは、選手の存在そのものも当然素晴らしいが、球場、応援歌をはじめとする球場音や、当時の自分の日常と切り離せない思い出となるものだと再認した次第だ。

 

最後はこのカード。

 

千葉ロッテマリーンズ

背番号 23

メル・ホール

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1994年ベースボールマガジン社製。

ロッテから中日に移籍した後の時代のプレーをなんとなく覚えているが、この選手について簡単に調べてみるだけでも心地よい情報が得られない。

当時のチームメート(おもに、後年ヤクルトスワローズに移籍し、オランダチーム監督にもなったヘンスリー・ミューレン氏)をいじめていたというのが事実であれば、なかなかに許しがたい。現在は米国にて、わいせつ罪で長期服役中との情報もある同氏。

 

カード裏面で笑ってる場合じゃねえぞ。

 

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笑ってる場合じゃねえぞ、といえば、2019年5月頭時点のチーム状況だ。チーム名は敢えて言うまい。

とは言え開幕してからまだ約1か月。できるだけ前向きな気持ちでKANSAI CLASSIC2019を迎えたいものだ。

 

晩夏から秋にかけて笑えればそれでいい。

 

 

記録はつづく

 

 

プロ野球カード記録 その15

筆が進まない。

開幕直前でソワソワしているというのも理由の一つであるが、ほんの数日前に発表されたイチロー選手引退の事実がけっこう心にキているからだ。

さみしさや感謝など、いろんな気持ちがごっちゃになって言葉が追い付かず、あえて「キている」と表現しておきたい。

 

というわけで、今日の野球カード記録は、イチロー選手特集!

といきたいところだが、大スター選手にもかかわらずカードの手持ちがこれ以外にない。

 

当ブログはそんなもの。

 

イチロー選手のカードはないが、彼がオリックス・ブルーウェーブに在籍した時代に、同チームで躍動した選手のカードを記録しておきたい。

・・・

 

 

オリックス・ブルーウェーブ

背番号25

勝呂 壽統

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1994年ベースボールマガジン社製カード。

プロ野球デビューは巨人から。その後ブルーウェーブ近鉄に在籍後、NPBおよび独立リーグ各チームでコーチとしての実績を積まれてきた、「いぶし銀」の呼び名が似合う方だ。

ちなみに右下にかすかに写る、スライディングしているマリーンズの走者は西村現オリックス監督である。

現在はオリックス・バファローズの一軍内野守備・走塁コーチを務める勝呂氏。

カード発行時の背番号のサインが入っているが、これは実は、最近になって、ありがたいことにご本人からいただけたサインだ。

昔のカードに、20余年の時間を経て、今サインをいただける。ちょっと不思議なタイムスリップ感があり、またご縁がとてもうれしかった。

 

同様のカードをもう一枚記録したい。

 

 

オリックス・ブルーウェーブ

背番号33

平井 正史

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1994年ベースボールマガジン社製カード。

現在はオリックス・バファローズ一軍投手コーチを務めておられるが、こちらも最近ご本人からサインをいただく機会に恵まれた。

ドキドキしながらカードを手渡したら、昔のご自身の写真を見て「…若ッ!!」と一言つぶやきながらペンを走らせてくださった。

このカードは同氏がルーキーイヤーのもの。「今もまだまだお若いし、かっこいいですよ」と気の利いた会話ができればよかったけれど、いかんせん緊張のため「ヴェ…ア…ありがとうゴザイマスッッ」と言うのが精いっぱいだった。

 

当ブログ主はそんなもの。

 

そんな不甲斐なさはさておき、サインをいただいた両氏にはあらためて感謝である。ありがとうございました。

球場の空気感や試合の思い出、また野球以外の、自分が若かった頃の記憶をも含んだ当時のカードに、今、第二・第三のステージに進まれた元選手方にサインをいただけて、時を超えた、良い経験ができた。

 

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「昔」のカードに「今」の記憶を上書きし、そして「今」と「これから」を担う選手のカードが追加されていく。

野球ファンとして幸せなコレクションができているように思う。

・・・

 

 さて、無理やりながら、冒頭のイチロー選手の話題に戻そう。 

 

手持ちの束の中には同氏のカードがない。

しかし、仮にイチローカードがたくさんあったとして、このブログであれこれ言ったところでやはり「言葉が足りない」状況に陥っていただろう。

彼はそれぐらい偉大な存在で、「現役引退」という既存の言葉と概念を超えて、新たな「何か」に進化/深化した姿を見せてくれると期待している。

その姿が明らかになる時、私は「フジーデラでイチローをこっぴどくヤジったんやで」とドヤ顔で、昔話の記録ができればと思う。

 

あるいは、近日行われる米国での引退セレモニーで引退を撤回したりしないだろうか。オリックスに現役選手として戻ってきたりしないだろうか。

 

そんな「まさか」を実現し続けた存在だよ、イチローは。

だから私はまだ「お疲れ様でした」と言わないでおく。

 

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その14

だいぶ遅れ馳せながら、球春あけましておめでとうございます。

 

オープン戦もはじまっており、ここまで来たら公式戦開幕はすぐそこだ。

まだまだ山のようにある未記録の90年代の野球カードを繰りながら、きたるペナントレースへのはやる思いをやり過ごそうと思う。

 

 

阪神タイガース

背番号1985, 1994

トラッキー&ラッキー

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1995年 ベースボールマガジン社製チェックリストカード。 

現在と少しフォルムが違う、90年代中期のちょっと丸っこいトラッキー&ラッキー。

 

甲子園での試合前のマスコットパフォーマンスのコーナーで「もしもしカメよ」の替え歌に合わせてかわいらしく踊っていた時代のトラッキーだ。

歌詞はうろおぼえだが、「トラトラ人気で埋め尽くせ♪どうしてこんなに強いのか♪」という、阪神が強くて困るわ~」という内容の歌詞だったように記憶している。

実際は暗黒期真っただ中で、苦々しい思いでその歌を聴いていたファンも多かったかもしれない。

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裏面は当時の選手のチェックリストになっている。 

のちに大阪近鉄代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打をキメた、私が大好きな北川博敏氏(現・ヤクルトスワローズ二軍打撃コーチ)も名を連ねていたりと、時代を感じるラインナップだ。

 

このあとサラリと南牟礼豊三選手のカードなど記録できれば完璧な流れに仕上がるところだが、あいにく持ち合わせていないため、このカードにつなぎたい。

 

阪神タイガース

背番号8

久慈 照嘉

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1992年ベースボールマガジン社製カード。

2019年3月現在、同チームの一軍コーチを務める久慈氏がルーキーイヤーのカードだ。

個人的には、同氏と関川浩一捕手の二選手がそろって中日ドラゴンズ大豊泰昭選手とトレードされた1998年のことが強く印象に残っている。

もっとも、このカードが発行された92年は、ヤクルトと熾烈なリーグ優勝争いをするほどであったが、先に書いた通り翌93年以降は暗黒期に突入して、阪神はあの手この手で補強を重ね、どうにかチーム状況を変えたかったのだろう。

 

久慈氏に話をもどすと、同時期のチームメートである新庄・亀山みたいな派手さはなかったけれど、カード裏面に「牛若丸」の記載があるように、小柄な身体で俊敏に守備をしている姿はとてもかっこよかった。

「牛若丸」のニックネームもさることながら、私が野球観戦から離れつつあった頃には「9時に久慈」という呼び名も浸透していたという話を知り、「牛若丸よりおもろいやんけ…」という謎のくやしさを噛みしめている次第だ。

半公式的な、ちょっと昭和臭を感じるニックネームがつけられることが多かったのも、90年代野球シーンの特徴かもしれない。(e.g.桧山進次郎選手=悠久の若虎)

 

 

読売ジャイアンツ

背番号36

長嶋 一茂

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1993年ベースボールマガジン社製カード。

今やタレント以上、俳優としてのカオが定着しつつある一茂。

 

しかしそもそも一茂、巨人に在籍していたっけ?? というのが正直な感想だ

個人的には野村ヤクルトでシゴかれていたイメージが強い。それはおそらく、この当時、私が阪神および近鉄ファンで、関西球団の応援に集中していたから興味がなかったことも大きい。

もっと言ってしまうと当該の球団が憎悪の対象であったため、記憶から抹消されている可能性が高い。

私が東京に移住してきて、野球観戦を再開してからも、当時からの憎悪感は根強く残っていたのだが、今は、昔の思い出とともにいろんな試合を観戦する機会が増えたのであまり「打倒・巨人」とも思わなくなった。

単なる加齢で闘争心と憎悪心が衰えたのかもしれないし、ここ数年は広島カープの一強状態が続いているせいもある。

少し前まで当該のチームのチケット争奪戦がおこるような時代が来るなんて想像もつかなかったように、今は考えもつかないようなことが将来起こることもあるんだ、と考えるとちょっとワクワクしたりもする。

 

オリックスが常勝チームになって、毎試合超満員でチケット入手困難な京セラドーム、ほっともっと神戸の姿が見られる可能性もゼロではないのかもしれない。

いや、ないか。いや、あってくれ。私が生きているうちに一度ぐらいはあってもいいだろう。

 

長嶋一茂氏から話題が反れたが、やはり野球選手としての思い出と思い入れが個人的に少ないからこれも仕方がない。

なんにせよ、好きなことを明るく、たくさん記録できる2019年シーズンでありますように。

 

 

記録はつづく

 

墓石で夢が見られるか 藤井寺球場跡地訪問の記録

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これ、墓石やん…

 

かつて野球場があった場所に立ち、心の中でつぶやいた。

 

その場所は、大阪府藤井寺市近鉄南大阪線 藤井寺駅前を指す。

オリックス・バファローズの前身球団のひとつ、近鉄バファローズが1950年から2005年までホーム球場および2軍球場として使用した近鉄藤井寺球場が存在した場所だ。

跡地の一角に、単身者用冷蔵庫ほどの大きさの記念碑がぽつんと建っているのだが、私には、記念碑というよりも墓石に見えてしかたがなかった。

 

 

合言葉は「フジーデラ行こうや」

藤井寺駅に来るのは20余年ぶりだ。

近鉄を応援していたのは、私が中学生だった90年代半ば。当時の思い出はこちらにも書いた通りだ。新聞屋の集金時には近鉄主催試合の招待券をたくさんもらえたし、お金をかけずに楽しめる行楽地でもあった球場に親しみを込めて

「フジーデラ行こうや」

と合言葉のように家族・友人と誘い合って通った。

 

97年、球団が大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に本拠地を移し、その後私は進学のために上京したことでフジーデラ通いに幕が下りた。

01年のリーグ優勝のよろこびも束の間、続く球団消滅・合併~フジーデラの解体の報せは全て東京で受けた。大阪と東京は、悲しいことから目をそらすには十分な距離で、また卒業・就職というライフイベントも重なり、私は野球観戦から離れていった。

 

 

ジーデラはどこ

そんな野球離れ期を経て、15年のタフィ復帰以来、観戦を再開することとなりブランクを埋めるごとく試合やイベントに参加するようになった。 

そういえばフジーデラは今どんな感じになっているのだろう。

世間の「平成最後に〇〇する」ブームにも巻かれ、18年末、帰省ついでに球場跡地に行こうと思い立った。

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天王寺から近鉄電車に乗り込む。これは昔と同じルートだ。そこから準急で約15分。藤井寺駅は商店街アーケードと、その地名と同じ寺社がある住宅街だ。街の規模と距離感を大雑把に東京で例えるならば、天王寺は新宿、藤井寺国分寺といったところか。

 

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さて、電車を降りて、かつて心躍らせて通ったフジーデラに出発… 

 

しかし、足が進まない。

ジーデラは駅からすぐ、線路沿いにあった。球場がどっちにあるかなんて考える必要もないほどの立地だったが、球場建物が丸ごとなくなったため、どの出口から行けばよいかわからない。通いなれたはずの藤井寺駅で迷う。ショックだった。 

戸惑いながら駅員さんに方向を教わり、歩き始める。 

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昔、観戦前に食料を調達したファストフード店。試合がある土日は店先で賑やかな女子高生バイトが販売していて、お客から「ねーちゃん、おもろいから吉本はいり」といったやりとりがされていたりした。 

しかしお店を見て、懐かしい気持ちになるかと予想してたが、特別な思いは湧かなかった。  

何かがおかしい。 

降りる駅を間違えたか、と思うレベルの違和感を抱きながら歩いていく。

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5分もしないうちに大きなマンションと学校が現れた。そこが、かつてフジーデラこと近鉄藤井寺球場が建っていた場所、らしい。

「らしい」と表現したのは、冒頭の記念碑以外に、野球場があったことがわかるものが一切なく、本当にフジーデラに来たと実感できなかったからだ。  

ホームベースがあったおおよその位置すらわからずに、舗装された道をとりあえず歩いていく。

 

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跡地を一周してようやく見つけた墓石こと、記念碑。

画像ではわかりにくいが、墓石のサイドには「白球の夢」と書かれたプレートもはめられているのだが、

「フジーデラは夢やったんやで」

と言われているような気持ちになってしまった。 

これ以上ここにいても仕方ないと感じ、無表情で藤井寺駅をあとにした。 

 

 

白球の夢は、優勝の夢

球場跡地では「無」の心境だったが、少し時が経った今、心の底から湧き上がるものを感じている。それはずっと目をそらしてきた、球場がなくなったことに対する寂しさと怒りだ。

ジーデラは夢などではなく、確かにあの地に存在して、いろんな経験をしたのに。

記念碑を墓石呼ばわりするために跡地訪問したわけではなく、かつて通った野球場を懐かしみ、新しいシーズンに向けて気持ちを高めるのが目的だったのに。

この気持ちをぶつける先はどこだろう。

 

球場を思いだせるものが微塵も残っていないこと。

ポツンとたてられた記念碑。

本来墓石でないものを墓石だと感じてしまう要素を、過去ではなく現在に見出すとすれば…

 

それはオリックス・バファローズが優勝から遠ざかっていることではないか。

 

昔フジーデラで近鉄を応援していた私が、いろんな偶然や機会に恵まれて観戦を再開し、

オリックス・バファローズを応援することになって見てみたい「白球の夢」は「優勝の夢」なのだ。

今のバファローズが勝ちを重ねて、前向きに球場跡地と、墓石ではない「記念碑」を訪問できる未来が私は欲しい。 

 

2019年シーズン、明るい白球の夢を見させてほしい…

西村新監督、たのんどきます。

 

 

記録はつづく

もうひとつの「わいたこら」 新庄剛志を好き過ぎた小学生の記録

タフィ・ローズを捜しています」

当ブログ名もそうだが、私はSNSアカウントもこの名前で開設している。

読んで字のごとく、2015年、富山独立リーグに復帰して翌2016年に忽然と日本球界から姿を消した、タフィ・ローズの近況が知りたいという理由から、この名前を採用した。

タフィをはじめ、私は日常的に現オリックス球団、昔の近鉄、昭和の関西パ・リーグのことばかり考えており、SNSの投稿もそれらに関連したネタが9割を占める。 


しかし、人生で初めて野球観戦にのめりこむきっかけとなったのは、それらの要素ではなく、阪神タイガース新庄剛志(以下 剛志)であった。

 

shibata-pro.hatenablog.com

 

今でも剛志がメディアに登場する時は、できる限り見逃さないようにしているし、2018年夏に刊行された剛志のエッセイわいたこらも迷わず購読した。

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本の内容はというと、著名人が先生役となり、波乱万丈な人生を紹介する番組に剛志が出演した時の内容+αといった感じだが、剛志のファンでも否でも、明るい気持ちになれる一冊だと思う。

ちなみに「わいたこら」は、九州地方の方言で「なんじゃこりゃ」という意味だそうだ。

 

小学生時代、私は剛志のことが大好きだった。

しかし外出できる時間、距離とお小遣いが限られていた小学生が、しょっちゅう甲子園で観戦してグッズを買い込むことは不可能だった。そのもどかしさは、剛志が登場する小説やマンガを創作することで昇華/消化した。

その作品は家族にみつかり、さんざんバカにされて溶解処分したが、奇跡的に処分をまぬがれた一部が実家で発掘された。

 

著名人でもない私の昔のノート画像など、誰も得しないけれど、たまにはふざけた記録をしようと思う。

 

・・・・・・・

作品はすべて平成5年夏(1993年)、私が小学5年時のものだ。

まずは観戦日記から。

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「カケフにかわっておしおきヨッ!」はわりとイケてる気がする。

 

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「虎神様(とらがみさま)」は自分が設定した甲子園の守神だ。阪神ファンと虎神様が協力して、なにかしら攻撃できるという設定だった。攻撃対象は、大正義・讀賣巨人軍。滅多に行けない甲子園と、伝統の一戦への思いをこういう形で昇華していたのだ。

 

観戦日記はこの2ページで終わっている。大好きなわりに継続できないこどもだった。

 

別のノートにのこっていた殴り書き。

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新庄剛志を略して、ふりがなをつけて、書く。それだけで満足できたあの頃。

 

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93年当時のスター選手ラインナップ。登録名は「八木なんとか」

名選手・八木裕氏に対して失礼極まりない。

 

 

漫画もあるので載せておこう。

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自分自身を「作者」と呼び、漫画家気取りで話が進む。

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私が歌う大音量の六甲おろしで地球が割れるというストーリーだ。

右下に「ほんまバカなハナシや。」の文字。自分でもわかっとるやないけ。

 

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THE ENDのあとに、剛志に比べてモテない設定の中込、亀山が登場。

 

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前述の「タイガーエネルギーアタック」に加え「グッズPANCIH(?)」という攻撃も存在した。買いたくても買えない阪神グッズへの思いをこうして処理していたのだろうか。

 

気になるのは「Tigersギター」の存在。

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イラストの形状と年代から、どうやら92年販売のフェルナンデス製ギターのことのようだ。

フリマアプリでも流通している。 

この時代にしては、阪神はグッズを充実させていたように思う。さすが人気球団。

 

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おまけのページ。

私が所属していた5年2組で一番人気だった男子を登場させつつ、このページが一番、当時の剛志愛が狂気を帯びて表現されているように思う。

 

最後のイラスト。

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……

わいたこら‥‥

 

 

以上。

 

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その13

これが2018年最後の記事となりそうだ。

応援しているチームのひとつ、オリックス・バファローズは今年「も」Bクラスだったけれど、人生初のキャンプ地訪問をしたり、高額ファンクラブに入会したり、バルボンさんに会えたりと、チームの順位に関わらず、楽しい観戦経験ができた。

野球観戦を趣味にして以来、最も精力的に活動できた一年だったと言える。(費やしたお金と時間が歴代一位という意味でも)

 

1990年代初頭にプロ野球観戦を開始したが、2000年代にその趣味から離脱。そしてつい最近の、2015年に観戦復帰というのが私のプロ野球ファン歴である。

野球に熱中し始めた90年代に活躍していた選手が、私の観戦ブランク期間に引退されていた場合、最近になってから「あの選手、ずいぶん前に引退していたのか」と知り、一抹のさみしさを感じることが多々ある。

またその逆で、90年代から現在まで現役を続けられている選手もいる。現役生活の長短だけが選手の優劣を決める要素ではないが、それでも長くプレーを続ける選手方々には尊敬の念を隠せない。 

そんな偉大な選手のひとりで、あともう少しやれたんじゃないか、やってほしかった、と惜しまれつつ、今年2018年に引退した選手のカードを1枚記録しておきたい。

 

 

西武ライオンズ

背番号7

松井 稼頭央  

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1997年カルビー プロ野球チップスカード。

松井選手がプロ入り4年目の時のカードだ。

90年代、松井といえばこの松井稼頭央(以下稼頭央)のほかに、言わずもがなの、ゴジラ松井こと松井秀喜選手(以下ゴジラ)が大活躍していた。

あくまで私個人の所感だが、ゴジラは野球ファン、わけても巨人ファンの男性に熱い支持を受け、稼頭央の方は、かっこいい野球選手が好きな女性ファンから支持されていたイメージが強い。

 

もちろん容姿だけでなく、野球選手として輝かしいキャリアを築いてきた稼頭央。

ゴジラは2003年にメジャー入り、その一年後に稼頭央も渡米した。前者はニューヨーク・ヤンキース、後者はニューヨーク・メッツに入団。同じ都市の球団ということもあってか、現地の球場観客に対して「ニューヨークに2人のマツイがいるけどどう思う?」というインタビューがなされ、米国人女性が「カズオ・マツイはセクシーよね」と受け答えした様子がニュース番組のスポーツコーナーで流されていたのを覚えている。

稼頭央はゴジラとはまた異なる魅力を放っており、私もその魅力に心おどらせていた一人だった。

 

また私が長らく野球観戦から離れて戻ってきた時もなお、稼頭央は現役選手でプレーを続けていたという点にも心がおどった。

10年以上も試合を観ていないと、思った以上に浦島太郎状態に陥ることがあった。

まず、知らない、若い選手の名前、ポジション、打順をざっと覚えるところから始めないといけなかった。

よかれと思って球場に持参した昔のグッズ…例えばVメガホンや普通サイズのビニール傘など誰も使ってないし、最新のグッズ展開とショップの規模に、ただただ驚いた。選手プロデュース球場グルメに至っては何ソレ?状態。「昔とえらい違うなあ!」のオンパレードだ。

とにかく何においても様変わりしすぎて、試合自体はもちろん楽しいけれど、正直戸惑った。

そんな中、稼頭央のように「昔から知っている選手がまだプレーしている」という事実は、リーグ・チーム問わずオアシス的な存在のように感じられた。

 

私が観戦復帰した時、稼頭央は楽天イーグルスに在籍していたが、今年、自身がプロ野球人生を開始したチームである、埼玉西武ライオンズにテクニカルコーチ兼任選手として復帰した。

私が関東でオリックス戦を観戦するためによく出向いたメットライフドームで、代打、代走でしばしば出場するシーンを目にした。稼頭央は2018年も変わらぬかっこよさで、対戦相手の選手ながら、やはり心おどる存在だった。

あと何年かは現役を続けられるんだろうなあ、と期待していたが、シーズン終盤、今季限りでの引退が発表された。

 

そもそも西武ファンではないし、稼頭央の大・大・大ファンというわけではなかったけれど、ブランクを抱えたいち野球ファンの心のよりどころだった稼頭央。少しでも長く見ていたい気持ちが強く、ファンフェスタにも足を運んだ。

繰り返しになるが、西武ファンではない私をファンフェスタまでいざなう何かが稼頭央にはあった。というか、選手として純粋に稼頭央が好きだったんだ、と自覚した。 

 

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熊代選手による秋山選手の顔マネをを再現する稼頭央。

お茶目な姿に、また心がおどる。

「カズオ・マツイはセクシーよね」とあの時インタビューで答えた女性にも見せてあげたかった。

 

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会場で配布された記念ボード

 

稼頭央…ありがとう。

お疲れ様でした。

 

来季からは2軍監督就任が決定している稼頭央。

チーム自体を応援することはないけれど、ミスターレオ松井稼頭央監督のことはひそかに応援しようと思う。

 

・・・

今季、惜しまれつつ引退を決意したすべての野球選手方々、素敵なプレーをありがとうございました。皆様の足跡を辿って切磋琢磨する若手選手の才能が開花しますよう。

 

そして稼頭央と(私とも)同世代で現役を続けられるすべての野球選手方々。2019年以降も若手に負けないご活躍を。

 

 

記録はつづく

阪急電車に乗って、阪急ブレーブス戦を観に行けば

 

2018年、私の野球観戦ライフに空前の阪急ブレーブス・ブームが巻き起こった。

  

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ゴールデンウィークに開催された復刻試合イベント・KANSAI CLASSIC 2018。阪急時代のビジターユニフォームで行われた試合に出向き、ライトスタンドで阪急時代の選手応援歌を熱唱した。

 

また京セラドームでロベルト・バルボンさんと写真を撮っていただく機会にも恵まれた。

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バルボンさんは阪急の元選手で、引退後も精力的に野球に携わりご活躍を続けられた伝説の助っ人である。オリックス球団職業イベントでグラウンド見学時にお会いでき、大変ありがたいことにバルボンさんから「一緒に撮ろか?」とお声がけいただき撮影に至った。

目元は隠すが、憧れの方に会えて嬉し泣きでのツーショットとなった。 

 

また京都で開催された復刻試合にも足をはこんだ。 

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西京極にあるわかさスタジアムの、自由すぎる外野自由席。

 

試合結果をみてみると、2018年、オリックス・バファローズが阪急ブレーブスとして戦った時の勝率は7割5分。阪急ユニフォームを着るとオリックスナインは強くなるようだ。

こんな具合で、2018年は、阪急ブレーブスにまつわる楽しい出来事が多い "阪急イヤー"となった。

 

なかでも京都での観戦経験は格別だった。 

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KANSAI CLASSIC 2018から約3週間後、京都市右京区わかさスタジアム京都で、今季4戦目の阪急ブレーブスvs千葉ロッテ戦が行われた。

この前日と前々日は、ほっともっとフィールド神戸で2戦というスケジュール。私はどちらも観戦して、神戸から電車で京都へと向かう計画を立てた。まっさきに選択した交通手段は、阪急電車での移動だった。

 

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阪急ユニフォーム(のTシャツ)を着込んで、阪急電車に乗る。

そして阪急ブレーブスの本拠地・西宮スタジアムがかつて存在した、西宮北口駅を通過。以前、球場跡地訪問した思い出もあいまって、関西地方でも屈指の上品さを誇る阪急電車の車内でひとり興奮をおぼえた。

 

それだけではない。西京極で阪急応援団 元団長の今坂喜好さんにお会いすることもできた。

今坂さんをリアルタイムで知る世代は限られてくる。私自身も球場で実際に応援している姿を観ることはかなわなかったが、昭和の関西パ・リーグを語るうえで欠かせない人物であり、ずっと興味を持っていた。

 

<参考記事>

bunshun.jp

 

上の記事を書かれた、野球好き芸人のかみじょうたけしさんと一緒に観戦されていたのを後で知ったが、私がお会いできたのは、試合後の球場から少し離れた路上だった。

あまりに突然の遭遇。タクシーをつかまえようとしておられたこともあり、写真などはお願いできなかったが、

「団長…、お会いできてうれしいです」

とだけお伝えすると、やわらかい表情でゆっくり会釈をしてくださった。

私はその場を離れた後も、緊張とうれしさで、しばらく身体が震えていた。

 

阪急ユニフォームを着て、阪急電車に乗って阪急の試合を観に行き、阪急の応援団長に遭遇する。それも2018年に。

初夏の西京極の夕暮れ時。いつも行っている都市部の球場とはまた違った、田園と住宅街を流れる甘ぬるい空気に包まれて、ほんの一瞬、静かに泣いた。 

  

昭和の関西パ・リーグの足跡と記憶をたどるのが好きな身としては、時を経てこのような素晴らしい経験ができてとてもうれしかったし、より一層、自分がリアルタイムで経験できなかった阪急球団への興味と愛情が湧くことになった。 

複数球団をバックグラウンドに持つオリックス・バファローズというチームを応援していると、その分、楽しみ方も増えるものだな、と実感した。

  

2017年はバファローズ応援再開の年、

2018年は阪急ブレーブス・ブームの年。 

きたる2019年も、大きな収穫があることを願って。

例えばオリックスが優勝するとか。

  

 

記録はつづく