タフィ・ローズを捜しています

80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。最愛の野球選手であるタフィ・ローズに再会するその日まで。

墓石で夢が見られるか 藤井寺球場跡地訪問の記録

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これ、墓石やん…

 

かつて野球場があった場所に立ち、心の中でつぶやいた。

 

その場所は、大阪府藤井寺市近鉄南大阪線 藤井寺駅前を指す。

オリックス・バファローズの前身球団のひとつ、近鉄バファローズが1950年から2005年までホーム球場および2軍球場として使用した近鉄藤井寺球場が存在した場所だ。

跡地の一角に、単身者用冷蔵庫ほどの大きさの記念碑がぽつんと建っているのだが、私には、記念碑というよりも墓石に見えてしかたがなかった。

 

 

合言葉は「フジーデラ行こうや」

藤井寺駅に来るのは20余年ぶりだ。

近鉄を応援していたのは、私が中学生だった90年代半ば。当時の思い出はこちらにも書いた通りだ。新聞屋の集金時には近鉄主催試合の招待券をたくさんもらえたし、お金をかけずに楽しめる行楽地でもあった球場に親しみを込めて

「フジーデラ行こうや」

と合言葉のように家族・友人と誘い合って通った。

 

97年、球団が大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に本拠地を移し、その後私は進学のために上京したことでフジーデラ通いに幕が下りた。

01年のリーグ優勝のよろこびも束の間、続く球団消滅・合併~フジーデラの解体の報せは全て東京で受けた。大阪と東京は、悲しいことから目をそらすには十分な距離で、また卒業・就職というライフイベントも重なり、私は野球観戦から離れていった。

 

 

ジーデラはどこ

そんな野球離れ期を経て、15年のタフィ復帰以来、観戦を再開することとなりブランクを埋めるごとく試合やイベントに参加するようになった。 

そういえばフジーデラは今どんな感じになっているのだろう。

世間の「平成最後に〇〇する」ブームにも巻かれ、18年末、帰省ついでに球場跡地に行こうと思い立った。

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天王寺から近鉄電車に乗り込む。これは昔と同じルートだ。そこから準急で約15分。藤井寺駅は商店街アーケードと、その地名と同じ寺社がある住宅街だ。街の規模と距離感を大雑把に東京で例えるならば、天王寺は新宿、藤井寺国分寺といったところか。

 

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さて、電車を降りて、かつて心躍らせて通ったフジーデラに出発… 

 

しかし、足が進まない。

ジーデラは駅からすぐ、線路沿いにあった。球場がどっちにあるかなんて考える必要もないほどの立地だったが、球場建物が丸ごとなくなったため、どの出口から行けばよいかわからない。通いなれたはずの藤井寺駅で迷う。ショックだった。 

戸惑いながら駅員さんに方向を教わり、歩き始める。 

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昔、観戦前に食料を調達したファストフード店。試合がある土日は店先で賑やかな女子高生バイトが販売していて、お客から「ねーちゃん、おもろいから吉本はいり」といったやりとりがされていたりした。 

しかしお店を見て、懐かしい気持ちになるかと予想してたが、特別な思いは湧かなかった。  

何かがおかしい。 

降りる駅を間違えたか、と思うレベルの違和感を抱きながら歩いていく。

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5分もしないうちに大きなマンションと学校が現れた。そこが、かつてフジーデラこと近鉄藤井寺球場が建っていた場所、らしい。

「らしい」と表現したのは、冒頭の記念碑以外に、野球場があったことがわかるものが一切なく、本当にフジーデラに来たと実感できなかったからだ。  

ホームベースがあったおおよその位置すらわからずに、舗装された道をとりあえず歩いていく。

 

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跡地を一周してようやく見つけた墓石こと、記念碑。

画像ではわかりにくいが、墓石のサイドには「白球の夢」と書かれたプレートもはめられているのだが、

「フジーデラは夢やったんやで」

と言われているような気持ちになってしまった。 

これ以上ここにいても仕方ないと感じ、無表情で藤井寺駅をあとにした。 

 

 

白球の夢は、優勝の夢

球場跡地では「無」の心境だったが、少し時が経った今、心の底から湧き上がるものを感じている。それはずっと目をそらしてきた、球場がなくなったことに対する寂しさと怒りだ。

ジーデラは夢などではなく、確かにあの地に存在して、いろんな経験をしたのに。

記念碑を墓石呼ばわりするために跡地訪問したわけではなく、かつて通った野球場を懐かしみ、新しいシーズンに向けて気持ちを高めるのが目的だったのに。

この気持ちをぶつける先はどこだろう。

 

球場を思いだせるものが微塵も残っていないこと。

ポツンとたてられた記念碑。

本来墓石でないものを墓石だと感じてしまう要素を、過去ではなく現在に見出すとすれば…

 

それはオリックス・バファローズが優勝から遠ざかっていることではないか。

 

昔フジーデラで近鉄を応援していた私が、いろんな偶然や機会に恵まれて観戦を再開し、

オリックス・バファローズを応援することになって見てみたい「白球の夢」は「優勝の夢」なのだ。

今のバファローズが勝ちを重ねて、前向きに球場跡地と、墓石ではない「記念碑」を訪問できる未来が私は欲しい。 

 

2019年シーズン、明るい白球の夢を見させてほしい…

西村新監督、たのんどきます。

 

 

記録はつづく

もうひとつの「わいたこら」 新庄剛志を好き過ぎた小学生の記録

タフィ・ローズを捜しています」

当ブログ名もそうだが、私はSNSアカウントもこの名前で開設している。

読んで字のごとく、2015年、富山独立リーグに復帰して翌2016年に忽然と日本球界から姿を消した、タフィ・ローズの近況が知りたいという理由から、この名前を採用している。

タフィをはじめ、私は日常的に現オリックス球団、昔の近鉄、昭和の関西パ・リーグのことばかり考えており、SNSの投稿もそれらに関連したネタが9割を占める。 


しかし、人生で初めて野球観戦にのめりこむきっかけとなったのは、それらの要素ではなく、阪神タイガース新庄剛志(以下 剛志)であった。

 

shibata-pro.hatenablog.com

 

今でも剛志がメディアに登場する時はできる限り見逃さないようにしているし、2018年夏に刊行された剛志のエッセイわいたこらも迷わず購読した。

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本の内容はというと、著名人が先生役となり、波乱万丈な人生を紹介する番組に剛志が出演した時の内容+αといった感じだが、剛志のファンでも否でも、明るい気持ちになれる一冊だと思う。

ちなみに「わいたこら」は、九州地方の方言で「なんじゃこりゃ」という意味だそうだ。

 

冒頭に貼りつけたブログ記事中にもあるが、私は剛志のことが大好きだった。

しかし小遣いや、外出できる時間、距離が限られていた小学生が、しょっちゅう甲子園で観戦してグッズを買い込むことは不可能だった。そのもどかしさは、剛志が登場する小説やマンガを創作することで昇華/消化した。

その作品は家族にみつかり、さんざんバカにされて溶解処分したが、奇跡的に処分をまぬがれた一部が実家で発掘された。

 

著名人でもない私の昔のノート画像など、誰も得しないけれど、ここ最近続いている自分の文章の「ちょっといいことを言って〆る学級委員調スタイル」にマンネリを感じていることもあり、たまにはふざけた記録をしようと思う。

 

・・・・・・・

作品はすべて平成5年夏(1993年)、私が小学5年時のものだ。

まずは観戦日記から。

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「カケフにかわっておしおきヨッ!」はわりとイケてる気がする。

 

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「虎神様(とらがみさま)」は自分が設定した甲子園の守神だ。阪神ファンと虎神様が協力して、なにかしら攻撃できるという設定だった。攻撃対象は、大正義・讀賣巨人軍。滅多に行けない甲子園と、伝統の一戦への思いをこういう形で昇華していたのだ。

 

観戦日記はこの2ページで終わっている。継続できない小学生だったのだ。

 

別のノートにのこっていた殴り書き。

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新庄剛志を略して、ふりがなをつけて、書く。それだけで満足できたあの頃。

 

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93年当時のスター選手ラインナップ。登録名は「八木なんとか」

名選手・八木裕氏に対して失礼極まりない。

 

 

漫画もあるので載せておこう。

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自分自身を「作者」と呼び、漫画家気取りで話が進む。

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私が歌う大音量の六甲おろしで地球が割れるというストーリーだ。

右下に「ほんまバカなハナシや。」の文字。自分でもわかっとるやないけ。

 

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THE ENDのあとに、剛志に比べてモテない設定の中込、亀山が登場。

 

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前述の「タイガーエネルギーアタック」に加え「グッズPANCIH(?)」という攻撃も存在した。買いたくても買えない阪神グッズへの思いをこうして処理していたのだろうか。

 

気になるのは「Tigersギター」の存在。

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イラストの形状と年代から、どうやら92年販売のフェルナンデス製ギターのことのようだ。

フリマアプリでも流通している。 

この時代にしては、阪神はグッズを充実させていたように思う。さすが人気球団。

 

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おまけのページ。

私が所属していた5年2組で一番人気だった男子を登場させつつ、このページが一番、当時の剛志愛が狂気を帯びて表現されているように思う。

 

最後のイラスト。

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……

わいたこら‥‥

 

 

以上。

次回記事から通常モードに戻します。

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その13

これが2018年最後の記事となりそうだ。

応援しているチームのひとつ、オリックス・バファローズは今年「も」Bクラスだったけれど、人生初のキャンプ地訪問をしたり、高額ファンクラブに入会したり、バルボンさんに会えたりと、チームの順位に関わらず、楽しい観戦経験ができた。

野球観戦を趣味にして以来、最も精力的に活動できた一年だったと言える。(費やしたお金と時間が歴代一位という意味でも)

 

1990年代初頭にプロ野球観戦を開始したが、2000年代にその趣味から離脱。そしてつい最近の、2015年に観戦復帰というのが私のプロ野球ファン歴である。

野球に熱中し始めた90年代に活躍していた選手が、私の観戦ブランク期間に引退されていた場合、最近になってから「あの選手、ずいぶん前に引退していたのか」と知り、一抹のさみしさを感じることが多々ある。

またその逆で、90年代から現在まで現役を続けられている選手もいる。現役生活の長短だけが選手の優劣を決める要素ではないが、それでも長くプレーを続ける選手方々には尊敬の念を隠せない。 

そんな偉大な選手のひとりで、あともう少しやれたんじゃないか、やってほしかった、と惜しまれつつ、今年2018年に引退した選手のカードを1枚記録しておきたい。

 

 

西武ライオンズ

背番号7

松井 稼頭央  

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1997年カルビー プロ野球チップスカード。

松井選手がプロ入り4年目の時のカードだ。

90年代、松井といえばこの松井稼頭央(以下稼頭央)のほかに、言わずもがなの、ゴジラ松井こと松井秀喜選手(以下ゴジラ)が大活躍していた。

あくまで私個人の所感だが、ゴジラは野球ファン、わけても巨人ファンの男性に熱い支持を受け、稼頭央の方は、かっこいい野球選手が好きな女性ファンから支持されていたイメージが強い。

 

もちろん容姿だけでなく、野球選手として輝かしいキャリアを築いてきた稼頭央。

ゴジラは2003年にメジャー入り、その一年後に稼頭央も渡米した。前者はニューヨーク・ヤンキース、後者はニューヨーク・メッツに入団。同じ都市の球団ということもあってか、現地の球場観客に対して「ニューヨークに2人のマツイがいるけどどう思う?」というインタビューがなされ、米国人女性が「カズオ・マツイはセクシーよね」と受け答えした様子がニュース番組のスポーツコーナーで流されていたのを覚えている。

稼頭央はゴジラとはまた異なる魅力を放っており、私もその魅力に心おどらせていた一人だった。

 

また私が長らく野球観戦から離れて戻ってきた時もなお、稼頭央は現役選手でプレーを続けていたという点にも心がおどった。

10年以上も試合を観ていないと、思った以上に浦島太郎状態に陥ることがあった。

まず、知らない、若い選手の名前、ポジション、打順をざっと覚えるところから始めないといけなかった。

よかれと思って球場に持参した昔のグッズ…例えばVメガホンや普通サイズのビニール傘など誰も使ってないし、最新のグッズ展開とショップの規模に、ただただ驚いた。選手プロデュース球場グルメに至っては何ソレ?状態。「昔とえらい違うなあ!」のオンパレードだ。

とにかく何においても様変わりしすぎて、試合自体はもちろん楽しいけれど、正直戸惑った。

そんな中、稼頭央のように「昔から知っている選手がまだプレーしている」という事実は、リーグ・チーム問わずオアシス的な存在のように感じられた。

 

私が観戦復帰した時、稼頭央は楽天イーグルスに在籍していたが、今年、自身がプロ野球人生を開始したチームである、埼玉西武ライオンズにテクニカルコーチ兼任選手として復帰した。

私が関東でオリックス戦を観戦するためによく出向いたメットライフドームで、代打、代走でしばしば出場するシーンを目にした。稼頭央は2018年も変わらぬかっこよさで、対戦相手の選手ながら、やはり心おどる存在だった。

あと何年かは現役を続けられるんだろうなあ、と期待していたが、シーズン終盤、今季限りでの引退が発表された。

 

そもそも西武ファンではないし、稼頭央の大・大・大ファンというわけではなかったけれど、ブランクを抱えたいち野球ファンの心のよりどころだった稼頭央。少しでも長く見ていたい気持ちが強く、ファンフェスタにも足を運んだ。

繰り返しになるが、西武ファンではない私をファンフェスタまでいざなう何かが稼頭央にはあった。というか、選手として純粋に稼頭央が好きだったんだ、と自覚した。 

 

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熊代選手による秋山選手の顔マネをを再現する稼頭央。

お茶目な姿に、また心がおどる。

「カズオ・マツイはセクシーよね」とあの時インタビューで答えた女性にも見せてあげたかった。

 

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会場で配布された記念ボード

 

稼頭央…ありがとう。

お疲れ様でした。

 

来季からは2軍監督就任が決定している稼頭央。

チーム自体を応援することはないけれど、ミスターレオ松井稼頭央監督のことはひそかに応援しようと思う。

 

・・・

今季、惜しまれつつ引退を決意したすべての野球選手方々、素敵なプレーをありがとうございました。皆様の足跡を辿って切磋琢磨する若手選手の才能が開花しますよう。

 

そして稼頭央と(私とも)同世代で現役を続けられるすべての野球選手方々。2019年以降も若手に負けないご活躍を。

 

 

記録はつづく

阪急電車に乗って、阪急ブレーブス戦を観に行けば

 

2018年、私の野球観戦ライフに空前の阪急ブレーブス・ブームが巻き起こった。

  

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ゴールデンウィークに開催された復刻試合イベント・KANSAI CLASSIC 2018。阪急時代のビジターユニフォームで行われた試合に出向き、ライトスタンドで阪急時代の選手応援歌を熱唱した。

 

また京セラドームでロベルト・バルボンさんと写真を撮っていただく機会にも恵まれた。

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バルボンさんは阪急の元選手で、引退後も精力的に野球に携わりご活躍を続けられた伝説の助っ人である。オリックス球団職業イベントでグラウンド見学時にお会いでき、大変ありがたいことにバルボンさんから「一緒に撮ろか?」とお声がけいただき撮影に至った。

目元は隠すが、憧れの方に会えて嬉し泣きでのツーショットとなった。 

 

また京都で開催された復刻試合にも足をはこんだ。 

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西京極にあるわかさスタジアムの、自由すぎる外野自由席。

 

試合結果をみてみると、2018年、オリックス・バファローズが阪急ブレーブスとして戦った時の勝率は7割5分。阪急ユニフォームを着るとオリックスナインは強くなるようだ。

こんな具合で、2018年は、阪急ブレーブスにまつわる楽しい出来事が多い "阪急イヤー"となった。

 

なかでも京都での観戦経験は格別だった。 

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KANSAI CLASSIC 2018から約3週間後、京都市右京区わかさスタジアム京都で、今季4戦目の阪急ブレーブスvs千葉ロッテ戦が行われた。

この前日と前々日は、ほっともっとフィールド神戸で2戦というスケジュール。私はどちらも観戦して、神戸から電車で京都へと向かう計画を立てた。まっさきに選択した交通手段は、阪急電車での移動だった。

 

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阪急ユニフォーム(のTシャツ)を着込んで、阪急電車に乗る。

そして阪急ブレーブスの本拠地・西宮スタジアムがかつて存在した、西宮北口駅を通過。以前、球場跡地訪問した思い出もあいまって、関西地方でも屈指の上品さを誇る阪急電車の車内でひとり興奮をおぼえた。

 

それだけではない。西京極で阪急応援団 元団長の今坂喜好さんにお会いすることもできた。

今坂さんをリアルタイムで知る世代は限られてくる。私自身も球場で実際に応援している姿を観ることはかなわなかったが、昭和の関西パ・リーグを語るうえで欠かせない人物であり、ずっと興味を持っていた。

 

<参考記事>

bunshun.jp

 

上の記事を書かれた、野球好き芸人のかみじょうたけしさんと一緒に観戦されていたのを後で知ったが、私がお会いできたのは、試合後の球場から少し離れた路上だった。

あまりに突然の遭遇。タクシーをつかまえようとしておられたこともあり、写真などはお願いできなかったが、

「団長…、お会いできてうれしいです」

とだけお伝えすると、やわらかい表情でゆっくり会釈をしてくださった。

私はその場を離れた後も、緊張とうれしさで、しばらく身体が震えていた。

 

阪急ユニフォームを着て、阪急電車に乗って阪急の試合を観に行き、阪急の応援団長に遭遇する。それも2018年に。

初夏の西京極の夕暮れ時。いつも行っている都市部の球場とはまた違った、田園と住宅街を流れる甘ぬるい空気に包まれて、ほんの一瞬、静かに泣いた。 

  

昭和の関西パ・リーグの足跡と記憶をたどるのが好きな身としては、時を経てこのような素晴らしい経験ができてとてもうれしかったし、より一層、自分がリアルタイムで経験できなかった阪急球団への興味と愛情が湧くことになった。 

複数球団をバックグラウンドに持つオリックス・バファローズというチームを応援していると、その分、楽しみ方も増えるものだな、と実感した。

 

「前身球団への熱い想いがあるから、今のチームは応援する気になれない。今のチームも球場も好かん」という旧チームファンが少なからずいることは知っている。 

その気持ちはよくわかる。 

その人たちが持つ旧チームへの情熱や愛情を否定し、今ある球団を応援しろよ、と強いる権利など誰にもない。

またその逆もしかり。現チームを応援することが、旧チームへの愛情を偽ることにはつながらない。現チームを応援する人が白い目で見られる道理などない。

当たり前のように目の前にあるから気づきにくいけれど、「昔」が素晴らしかったように「今」も等しく素晴らしいのだ。

両者が過度に干渉することなく、それぞれが「昔」、「今」、もしくはその両方を楽しめたらそれでいいと、私は信じている。 

もっとも「そんな単純な話ちゃうねん。そもそも元近鉄ファンのお前が阪急を語るな」とすごまれたら、簡単にチビると思うけれど。

でもまあ、そんなときは、私は2017年にオリックス・バファローズファンになったので昔のことは勉強中でして…と笑顔でごまかそうと思う。嘘は弌つもついていない。 

 

2017年はバファローズ応援再開の年、

2018年は阪急ブレーブス・ブームの年。 

きたる2019年も、大きな収穫があることを願って。

例えばオリックスが優勝するとか。

  

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その12

プロ野球カード記録、12記事目。

 

最近はパ・リーグのカードについて書くことが多かったので、今回はセ・リーグに絞ろう探っていたら、阪神タイガースの選手カードが見つかった。

さっそく記録していこう。

 

阪神タイガース

背番号0

中野佐資

 

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1993年のベースボールマガジン社製カード。

この時代の阪神背番号0代といえば、背番号00の亀山努が真っ先に思い出されがちだが、この中野選手も忘れてはいけない。亀山、新庄、その他のいわゆるシュっとした選手に比べると、丸っこくてどこかかわいらしいという意味でインパクトがあった。 

燃えろ中野 根性だ

男の意地だ 突撃中野

男のなかの男なら

お前のバットで決めてやれ

と、今でも中野選手の応援歌はソラで歌える。

 

なにより90年代初頭の阪神の話題は私の大好物だ。

 

私は、今はスワローズ、バファローズを中心に応援をしているが、小学生高学年頃、大スター・新庄剛志の活躍に影響され、「野球といえば阪神という観戦生活を送っていた。

大阪に住んでいたとう点も大きい。テレビを点ければ阪神戦が中継されていたし、試合以外にも、週に最低2つはタイガース番組が放送されていた。

なかでも「週刊トラトラタイガース「ダイナマイト・タイガース!」が主な2番組だったように記憶しており、私がよく観ていたのは後者だった。ダンカンと遥洋子が司会で、村山実氏などの大物OBや現役選手など豪華ゲストが登場することもしばしばあり、異様に勢いのある番組だなぁ、と子供ながらに思ったものだ。

ダイナマイト・タイガース!の次の時間枠に放送されていたのが、90年代によくあった、ちょいエロ番組「西川のりおののりノリ天国」だったということも味わい深いがそちらの思い出は割愛。

 

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この黄ばんだ画像は、そんな小学生時代(1993年頃)に自分が切り抜いたテレビ欄である。

 

今でこそ勤労の義務を果たし、その稼ぎで好きなだけ球場に出向いて観戦し、イベントに参加してキャッキャしているが、お金も時間もアシも限られていた小学生時代、いつも中継や球団番組を観るだけでは収まらない熱を帯びていた。

テレビ欄の切り抜きですら、当時の自分にとっては重要なチームの情報源であり、もっと言えば野球グッズのひとつとしてカウントしてよいという認識をしていたように思う。

こんな切り抜きをとっておくなんて、ちょっと貧乏であたまがおかしい小学生だった、と言えばそれまでかもしれない。

それでも応援する選手やチームは違えど、そこまで好きだったプロ野球を、ブランクを挟みつつも、今もなお好きであり続け、球場に通い、こうしてブログを綴ることができているのは、幸せなことだ思う。

この切り抜きをした当時の私が、ふたたびプロ野球に夢中になっている現在の私の姿を見たら、すごく喜んでくれるのではないだろうか。

野球観戦を再開するきっかけとなった選手や球団、球場、試合。そしてそのための資金を自分で稼げている自分自身と、理解を示してくれている周囲への感謝を忘れてはいけない。

 

つい、冗長で気持ち悪い脱線をしてしまったが、これもオフシーズン特有の症状なので仕方がない。

 

中野選手の話に戻そう。

成績についてはカード裏面に記載のとおり、レギュラーより代打でたまにみる…といった具合で、残念ながらこのカードが発行された年に現役を引退。

現在の状況については個人的にあまり好ましくないウィキペディア頼りになってしまうが、スポーツショップで勤務されているとのことだが、勤続されているのだろうか。

男のなかの男、どうかお元気でいてほしい。 

 

 

阪神タイガース

背番号2

松永浩美 

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同じく1993年ベースボールマガジン社製カード。

このカードを手に取ったとき、「出たよ浩美…」と思わずつぶやいた。

この時代の阪神では思い入れの強い選手のひとりなのだ。

 

在籍時の成績云々よりも、オリックスから阪神に移籍してきたのにたった一年で国内初のFA権行使、憎まれながらダイエーにさっさと移っていったジコチューおじさん、というイメージがこどもの頃の記憶として刻まれている。しかしこれも当時自分が大阪に住んでおり、松永のイメージを悪くするような阪神サイドに偏った報道ばかりに触れていたことが大きな原因だ。

そもそもそれらの報道が偏っていたことを知ったのは最近のこと。現在私が応援しているオリックス・バファローズの前身球団のひとつ、オリックス・ブルーウェーブならびに阪急ブレーブスに在籍していた選手ということもあり、改めて松永のことを調べる機会が増えたのだ。

 

阪急時代、私が敬愛する上田利治監督のもとで育ち、活躍した選手だったことを知り、またブルーウェーブ時代に「福良・遊ゴロ」で新人だった田口壮をベンチ裏でどやしつけたエピソードなどを読むにつれ、前述の「悪のイメージ」がどんどん払拭されていった。

 

そしてなにより、

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こちらよりお借りいたします)

 若いころの松永…いや、浩美…

かっこいい。

 

もし阪急時代に今の私が観戦しに行ってたら、相当入れあげていたかもしれない。

そんな浩美、現在は野球アカデミーで指導にあたられていたり、解説をしたり、ドリームベースボールなどの試合をされたりと、精力的に活動をされておられるようだ。(twitterもされているようだしフォローせねば!!)

 

 

今の浩美にも会いたいけれど、阪急時代の浩美の出待ちを西宮スタジアムでしてみたかった。

タイムマシンがあればいいのに。

 

・・・・

オフシーズンならではの歪んだ願望。季節性のこんな症状にも、もう慣れた。

割り切って楽しむしかない。

 

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その11

2018年11月。

当記事 執筆現在、福岡ソフトバンクホークス広島東洋カープによる、熱い日本シリーズが繰り広げられている。

 

初戦引き分けからはじまり、点を取られては取り返す熾烈なシーソーゲームの連続で、どちらのチームのファンではないながらも、目が離せずにいる。

もしかしたら、後々語り継がれる日本シリーズなのかもしれない。それぐらいの展開を毎日のように観ている気がする。

そんな熱戦の一方で、野球ファンならば誰でも、「来季こそは自分の応援するチームも日本シリーズに」あるいは「自分が生きているうちにせめてリーグ優勝を」と思うものではないだろうか。

Bクラスの常連となっているチームのファンならなおさら、優勝は高望みだとしてもCS争いはせめて…と願ってしまう。

望むのは自由だしタダだ。もう少し高いところを期待して応援しなきゃいけないよなぁ…という意味でも、今回のカード記録は、私が応援する"バファローズ" しばりでいこうと思う。

 

・・・

大阪近鉄バファローズ

背番号 5

村上 嵩幸

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近鉄バファローズ時代のものは以前こちらで記録したが、チームが大阪近鉄…になってからのカードである。配布年が記載されていないが、SNSでつながっている詳しい方の情報により1997年のものだと判明。(N様ありがとうございました)

最近は主に野球解説でお目にかかる機会が多かったが、2019年から中日ドラゴンズ 一軍打撃コーチに就任が決定した。与田剛監督による新体制の一員である。神宮球場での対スワローズ戦にて、中日ユニフォームでビシっとキメた村上氏を拝見するのが楽しみである。

 

 

大阪近鉄バファローズ

背番号 3

吉岡 雄二

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 2002年、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)での主催試合の入場時に配布されたカード。

このカードには、私の "好き"が詰まっている。

まずこの吉岡氏は、当ブログのタイトルにもある、タフィ・ローズに深くかかわっているからだ。2015年、タフィが富山サンダーバーズでコーチ兼選手として活躍したのは、彼の呼びかけによるものが大きかった。

タフィが富山にいる頃、試合後に吉岡氏自ら道具を片付けていた姿が今でも忘れられない。サンダーバーズを含め、独立リーグで7年間指揮をとられており、野球が好きなんだろうな、という印象が強い。きわめて軽薄な表現だけれどもその言葉以上に出てこない。

あとは、この時代の近鉄ヘルメットに広告を出していた、コンビニチェーンのam/pmも懐かしい。同チェーンで売っていた「とれたてキッチン」のお弁当がおいしくて、10代後半のお昼ご飯は、そればかり食べていた(そして太った)。

コンビニ話はさておき、吉岡氏は2018年から北海道日本ハムファイターズの二軍打撃コーチを務めている。来季も同ポジションなのだろうか。かわらぬ手腕を発揮して、一軍でのお姿も拝見したいところだ。

 

 

オリックス・バファローズ

背番号 81

大石 大二郎

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2009年の球場配布カード。画像ではわかりにくいが、キラキラ加工がされている。大阪近鉄…になる前から、近鉄バファローズの俊足のアイコンであった "だいちゃん" こと、大石大二郎氏。

当ブログで何度か書いているが、私は2000年代、野球観戦から離れていたため、だいちゃんがオリックスの監督をしていた時期があることすら記憶になく、監督としての手腕やチーム成績などはどうしてもウィキペディア頼りになってしまう。

2008年に監督代行就任、同年8月に監督に正式に昇格。ウィキ情報が正しければ、タフィをはじめとする助っ人やベテランの活用も評価されていたとのことだが、翌年、チーム成績不振により監督辞任。シビアである。

現在は社会人野球チーム・ジェイプロジェクト硬式野球部監督を務められていると情報を得られたが、2019年も続投されるのだろうか。今後もご活躍されますよう。

現役時代の大石氏の打席で「だーーいちゃーーーん」コールができたこと、最後の藤井寺世代として誇りに思っている。

 

・・・

 

さて、日本シリーズの話に戻すと、今日現在ではホークスが王手をかけている。

それでもカープだって手ごわいチームだ。まだ勝敗はわからない。できるだけ長く野球を観ていたいという勝手な願いもあって、シーズン終盤にぜひともしつこく、ねばっこい展開をみせてほしいと思う。

レベルの高い試合を観ると、来季どうなるのか…と一抹の不安がよぎったりもするけれど…

 

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このだいちゃんみたいに、上をむいて、明るい来季を夢みたい。

 

 

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その10

知人より譲り受けた野球カード。せっかくだからブログに記録していこうと始め、今回が10回目。 

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カードはまだまだたくさんある。

 

カード記録記事を書く際は、特定のチーム・選手を基準にカードを選ぶ時と、束から無作為に引き抜く時の2パターンで主に回してきた。

 

今日は後者。束に指をつっこみ、エイ!と引き抜いたカードがこちら。

 

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竹馬にのった猿…

 

 

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オリックス・バファローズ

背番号555 

球猿 ゴウくん

 

2006年から登場したボールモンキー(球審にボールを手渡す猿)である。神戸モンキーズ劇場という、90年代にブームとなった猿軍団系の劇場出身。同時期にロッテマリーンズや広島カープの試合で活躍し始めた「ボール犬」に対抗しての採用だったようだ。

カード配布年は2007年。この頃私はプロ野球観戦から遠ざかっていたこともあり、このゴウくんのことはまったく存じ上げない。

ネットで検索したところ、

 

・球場に来るとイライラして落ち着かなくなり、2006年はボール渡しに成功したのは2試合のみ

・2008年にR-1ぐらんぷりに出場、2回戦敗退

 

と、心がひりひりする情報がヒットする。

球団再編からあまり時間もたっておらず、オリックスが集客のためにあれこれチャレンジしていた時期だったのだろうか。活動終了年もよくわからず、「ゴウくん 現在」でサーチをかけようとも思ったが、悲しくなりそうなのでやめておく。

 

次のカードの記録に進もうと思う。

 

 

ヤクルトスワローズ

背番号00

柳田聖人

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1995年のベースボールマガジン社製カード。

端正な顔つきの、「ヤクルトのギータ」(実際にはこの愛称はついていなかったが)。お名前は聖人と書いて「しかと」と読む。

ヤクルトで2年、南海時代を含めたダイエーでのキャリアが計12年。個人的にも、ダイエー時代の姿のほうが記憶に残っている。

2016年の情報によると、福岡県内のスポーツ用品店に勤務されているとのこと。現在も続けてお勤めされているのだろうか。あるいは学生野球の指導などに関わられているのだろうか。いずれにしても、お元気にご活躍されていることを願う。

 

さて、この柳田選手のカードを手に取り、プロ入り後のキャリアもさることながら、宮崎県立延岡工業高等学校のご出身である点に反応してしまう。

 

同校は、2018年シーズン限りでオリックス・バファローズの監督を辞任した、福良淳一氏の出身校でもあるからだ。

 

最後は無作為に引き抜いたカードではなく、こちらを記録しておこう。

 

オリックス・バファローズ

背番号78

福良淳一

 

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2018年プロ野球チップスカード。

就任期間の3年間、ずっとBクラス。ファンから厳しいコメントを浴びせられることが多かった福良監督。結果がすべてのプロ野球。そんなもんだ、仕方ない、とわかっていても、私は監督のことは嫌いではなかった。

 

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延岡工業高等学校 校門。遠くに映るのは、おそらく先述の柳田選手と福良監督の後輩であろう、野球部員。

これは2018年2月、私が春季キャンプ見学で宮崎県に行った際に立ち寄った時の写真だ。

 

「監督のことは嫌いではなかった」と書いたが、嫌いではないどころか、出身校を一目見たいと思うぐらいには好きだった。

もっとも、シーズン中に「福良が好き」なんて言おうものなら、他のオリックスファンから白い目でみられるような風潮があったように思う。

それでも私は、緑茶を飲む姿や、審判へのリクエスト時に描く四角形など、采配以外の部分でも試合を存分に楽しませてもらった。

退任の事実はやはり寂しく、10月5日の最終戦から日が経っていないこともあり、「福良ロス」状態である。

 

少しでも気持ちを前に向けるために、せめてこの場で感謝の意を記しておければと思う。

 

淳ちゃん、ありがとう。

お疲れ様でした。

  

来季からの西村オリックス・バファローズに期待しつつ。

 

 

記録はつづく 

 

 

 

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Special thanks to C様