タフィ・ローズを捜しています

80年代、90年代のプロ野球の記憶を記録していきます。最愛の野球選手であるタフィ・ローズに再会するその日まで。たまに野球以外の記録も。

プロ野球カード記録 その4

f:id:shibata_pro:20170512162705j:plain友達からもらったたくさんの野球カード。

本日もこの束のなかから無作為に選んだ3枚のカードを記録していこうと思う。

 

 

・・・・

福岡ダイエーホークス

背番号24 下柳 剛 

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1995年ベースボールマガジン社製カード。

猫背気味のシルエット、伸ばした襟足、ふてくされたような表情。

当時、十代前半であった私が、野球選手を凝視するスタイルで観戦を始めるきっかけとなった、新庄剛志選手の赤いリストバンドの次ぐらいに、この下柳投手の風貌には思わず「エッ?」と二度見させられたように記憶している。

こどもにとっては「かっこいいのか悪いのかわからない、これでええんか?」的存在だったが、自分よりもう少し年上の女性ファンは、ワイルド&セクシーの象徴として熱狂していなかっただろうか。

ダイエーを去った後は、日本ハム阪神にてキャリアを重ね、2013年楽天を最後に現役引退、現在は解説者・タレントとして活躍している。

 

 

福岡ダイエーホークス

背番号6 湯上谷 宏 

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1992年製ベースボールマガジン社製カード。

お恥ずかしながら、この選手については記憶がなく、カード裏面の「Did you know?」には素直に「No,I did not.」と答えるほかない。

高校卒業後、南海ホークス入団→ダイエーホークスに在籍、他球団に移籍することなくホークス一筋で2000年に引退しているようだ。

wikipediaが正しければ、2014年から米国に語学留学に行かれたというところで経歴情報が終わっているが、現在はどうされているのだろうか。ガメやんという愛称とともに、少し気になるところだ。

 

 

横浜ベイスターズ

背番号11 斎藤 隆

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ダイエー戦士2人のあとは、ハマのピッチャーのカードを引き当てた。

斎藤氏のプロ入り4年目にあたる1995年のベースボールマガジン社製カード。

ベイスターズ→複数メジャー球団に在籍→楽天で現役引退。2017年現在、MLBパドレスのアドバイザーを務めている。要はメジャー球団のフロントメンバーだ。

メジャーでの経歴もさることながら、大洋時代よりベイスターズに13年間在籍していたからか。個人的には青いユニフォームが似合うハマっ子のイメージがとても強いが、このカードを手に取って初めて東北出身であることを知った。

 

 

野球カードを整理していると、小さいながらも、こうした再発見があるのがうれしい。

どんな選手とつながっていたのか、とか、現役選手やチーム・球界に与えた影響を調べてみるのも愉しい。

懐かしい選手に思いを馳せていると、今、応援しているチームが抱える借金問題など一瞬だけ忘れられる気がする。

 

2017年シーズンものこりわずか。野球ファンとして、心おだやかにシーズンを終えられることを願っている。

 

記録はつづく

富山でローズと再会し、フランコに恋をした・・・2015年夏 BCリーグ初観戦の記録

今から2年前、富山で人生初の独立リーグ試合観戦をした。

その時のレポート記事を別メディアに寄稿していたが、加筆してここで再掲しようと思う。

 

2年経つとチームや選手の状況に変化や進歩があるものだが、私自身、この観戦がきっかけで大きな収穫を得ることができた。

 

1つは、野球観戦を再開したこと。

2000年代のリーグ再編などで球場通いから離れていたが、もう一度プロ野球を観てみようと思い、上京して以来ゆるく応援していたヤクルトスワローズの本拠地・神宮球場に通い始めることとなった(なんとなく通っていたらそのままリーグ優勝した)。NPBだけでなく、BCリーグの試合に行きやすくするために、35歳を過ぎて運転免許も取得した。

 

もう1つは、20年間音信不通だった友人との交流が復活したこと。

その友人とは、「藤井寺球場に連れていってくれた友達」として本文中に登場するその人であり、当ブログ開設のきっかけとなった野球資料を譲ってくれた本人だ。冨山に旅経つ前日に、思い立って彼女のご実家に電話をかけてみたことにより、20年の時間と大阪-東京という距離を経て、また友達付き合いが再開することとなったのだ。

 

前置きが長くなったが、私の野球観戦人生において、2015年夏は大きな節目の季節となったことを強調しつつ、本文に戻る。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

2015年7月15日、富山で野球観戦をしてきた。

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目的は、タフィ・ローズ(写真)という伝説の助っ人に会うこと。

 

そのために、富山県魚津市の球場で、富山サンダーバーズvs石川ミリオンスターズのナイター戦を観戦してきたのだ。

  

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まず始球式から興奮した。バッターはフリオ・フランコ(元千葉ロッテマリーンズ)、キャッチャーがローズ。

90年代パ・リーグを知る者としては、当時のオールスターゲームでも見ることのできない豪華で特別な組合せだ。

  

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2回裏、この日初めてローズの打席。
変わらないバッティングフォームに目頭が熱くなる。

ローズだ。

タフィ・ローズだ。

もう一度会えた。

富山に来てよかった・・・!

 

開通したての北陸新幹線に乗り込み、富山で初めて経験したBCリーグ

ローズのみならず、試合もチームも富山も、とってもアツくて満足した。 

 

◆そもそもBCリーグって?

ローズが在籍する富山サンダーバーズと、この日対戦した石川ミリオンスターズ。これらチームはBCリーグベースボール・チャレンジ・リーグに属するチームだが、そもそもBCリーグとは何なのか。

 

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ROUTE INN BCL 公式サイト (http://www.bc-l.jp/),2015年現在の情報 より引用

BCリーグとは、この地図にあるように、北陸・甲信越地方5県と関東地方2県、東北地方1県を活動地域とする、プロ野球独立リーグである。アマチュア野球だと誤認されることも多いが、「プロ野球」の中のひとつにBCリーグというものがある、という言い方が正しい。TVでよく見る「プロ野球」は「日本野球機構NPB)のプロ野球」である。

(2017年8月現在、上記に加え 栃木ゴールデンブレーブス滋賀ユナイテッドの2チームが新加入した計10チーム構成となっている。BCリーグの活性化が垣間見えないだろうか。)

 

ローズのような名選手が復帰し、再度野球人として活躍しつつ若手選手を指導する。そしてその若手がステップアップしてNPBで活躍する、ということも十分あり得るのだ。さまざまな世代の選手にチャンスを与え、首都圏以外で野球を通して地域を盛り上げる団体である。

  

タフィ・ローズとの出会い

私を東京から冨山に行くまでに書き立てた野球選手・ローズに出会ったきっかけをお話したい。

 

いまはむかし、地元・大阪。 

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南海ホークスファンの父の影響で、野球観戦が日常の一部という環境で育ち、幼少期にはルールも完璧にマスターした。小学校時代には甲子園の年間指定席をとっていた友達の家族に便乗させてもらい、阪神タイガースを中心にセ・リーグの試合を観戦していた典型的なトラファン少女で、収容人数7万人の大球場・甲子園での観戦にどっぷりつかっていった。

 

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中学進学と同時に、今度は近鉄バファローズの私設応援団メンバーを親に持つ友達ができ、今はなき藤井寺球場に通うこととなった。

収容人数約3万人の球場に、毎回顔なじみの観客と応援団。ひとりでもヤジを飛ばせば球場に響き渡るアットホームな雰囲気は、私にとってすごく新鮮だった。

  

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球場の売店で売られているカップめんに、鮮やかな黄緑色のシャツを着たおばちゃんがお湯を注いでくれる。試合もさることながら、その大きなヤカンがなぜか鮮烈に記憶に残っている。

 

アツアツのめんをすすりながら試合の行方を追いかける。客席にも余裕があり、ちょっとぐらいツユをこぼしたって誰も気にしない。

大人たちは、持ち込んだ大量の酒でプレーボール前からできあがっているし、シートに寝そべりながらタバコをくゆらせるオッサンの姿もよくみかけた。

応援チーム・相手チーム問わず、選手がミスした時には容赦ない叱責と笑えるヤジ。
そして試合後の「○○電車ではよ帰れ〜」のフレーズ。


おおらかだが時に厳しい、関西パ・リーグを象徴する球場だったように思う。

 

いつものように友達と何気なく訪れた、そんな藤井寺球場。14歳の私は、来日したての一人の助っ人選手に一目惚れしてしまう。

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すぐにフェンス越しにサインをねだり、握手もしてもらった。
それがきっかけでより一層野球が好きになり、その後も藤井寺に通うことになる。

 

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私がフェンスにしがみつくほど夢中にさせた藤井寺のヒーロー。

 

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その選手、タフィ・ローズ

ここで説明するのも不要なくらい日本野球を盛り上げ、野球ファンにとって忘れられない選手の一人となった。来日してすぐにもらったローズのサインは私にとって最高の宝物となったし、プレースタイル、バイク通勤、関西弁を話す姿すべてが大好きだった。

 

それから幾数年、近鉄を離れ、巨人、オリックスでプレーしたのち、気づけばローズは日本球界から姿を消していた。
彼の近況を知るべくネット検索するも、息子のバスケチームでコーチをしているらしい、といった薄い情報しか得られない状態が数年続いた。

 

しかし、2015年6月。 

f:id:shibata_pro:20170829161823j:plain富山サンダーバーズ 球団ホームページ (http://www.t-thunderbirds.jp/) 2015年の情報 より引用

恋焦がれた伝説の強打者が、BCリーグチーム・富山サンダーバーズに選手兼任コーチとして日本に戻ってきたのだ。大仏の背景に、俄然テンションが上がる。

 

私はすぐさま情報収集にとりかかった。試合場所、日程、出場状況・・・・ ローズにもう一度会いたい。おかえりなさい、と伝えたい。そしてもう一度サインがほしい。富山に行くべきなのか・・・

 

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迷っていた私の背中を押したのが2015年3月に運行開始した北陸新幹線だ。ローズ復帰とほぼ同じタイミングに開通だなんて、運命的すぎる。

こうして 7月15日の試合を観るために、そしてローズと再会するために、富山行きを決意した。

 

富山県魚津市

ここで、この日の試合が行われた魚津市(うおづし)について簡単に紹介したい。

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富山駅から在来線で東へ30分ほどの場所に位置する、富山湾にすぐ行ける、海の幸と水が美味しい町だ。

 

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絶景の富山湾。4月〜5月には蜃気楼が見られることでも有名。

 

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この日の試合が行われる桃山運動公園の近くには、落水が美しい円筒分水槽(農業用水利施設)もある。

試合前に各所をめぐっては、ローズ、いいところで野球してるんだなぁ・・・といちいち感慨にふけった。

 

◆桃山野球場へ 

魚津駅から車で20分弱の場所にある、山間の桃山運動公園内の球場試合に向かう。試合は18:15開始、開場は16:30。練習の合間にサインがもらえるかも・・・と期待して15:30には球場到着。

球場外、フェンスの隙間から富山サンダーバーズの選手が見えた。

f:id:shibata_pro:20170829162036j:plainあ・・・!

遠目にも判る。ローズだ。大阪時代よりも大柄になっているけど、間違いなくローズだ!
目頭が熱くなり、身体の震えが止まらなくなっていた。

 

14歳の私なら間違いなくこの時点で「ローズぅ!」と大声で叫んでいただろうけど、練習中だし・・と大人の分別をはたらかせてじっと見つめるだけにした、というよりも、見つめるだけで精いっぱいだったのだ。

客席開場までまだまだ時間があったため、周辺をうろついたり、なんとなくトイレに行ったりを繰り返して時間をつぶした。

  

f:id:shibata_pro:20170829162053j:plainローズが出てくるかも、と思い何度か球場入口まで戻るも、静かなままだった。(トイレに行っている間に出てきた可能性も十分にあるが)

今がだめでも、試合後に出てくるのを待って、絶対サインもらおう!と意気込んだ。

 

f:id:shibata_pro:20170829162121j:plain売売店でグッズを購入したり、周辺の写真を撮るなどして、はやる気持ちを落ち着かせる。 

 

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雷鳥がモチーフの球団マスコット、ライティ。結局この日、本人(本鳥)に直接会うことはできなかった。

そうこうしているうちに16:30 となり、ようやく入場開始。  

 

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入り口で選手によるグリーティングが。選手とファンの距離が近くて驚いた。

  

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わくわくしながら一塁側内野席前列に腰をかける。

フィールドでは、この日の対戦相手・石川ミリオンスターズが最終仕上げに入っていた。 

 

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あっ、フリオ・フランコ選手兼任監督がこんな近くに!

ローズもすごいが、このフランコも、ロッテマリーンズやメジャー、他国リーグでかなりの活躍をつづけたプレーヤー。2015年当時、56歳で現役を続けていたレジェンドだ。

(2017年8月現在、韓国プロ野球KBO ロッテジャイアンツの一軍バッティングコーチを務めており、2018年NPB 千葉ロッテマリーンズの監督就任説もまことしやかにささやかれている)

 

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一度藤井寺の試合で見たことがあったが、スタイルが全く変わっていない。
いやらしい熱い視線を送っていると、微笑み、手を振ってくれた。ハキュン! 

  

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試合開始時間が近づき、観客数も少しずつ増え、応援団も登場。近鉄ユニフォーム姿のファンも数人いた。一人の方にお話を聞くと、やはりローズのファンで大阪から来られたとのこと。新旧ファンから人気なのだ。

 

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試合開始20分前、スタメン発表。ローズは指名打者で4番だ。 

 

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そしてローズもフィールドに姿をあらわした。

  

◆試合開始

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定刻の18:15となり、いよいよプレーボール。 

 

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この日はTIMのレッド吉田氏による始球式が行われ、初盤から場内が盛り上がる。 

 

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そして冒頭のとおり、私にとって夢のような組合せがバッターボックスに。 

 

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念願のローズ初打席。バッターボックスに入る前から大声で声援を送る私。藤井寺球場よろしく声が響き渡る。 

 

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この姿をもう一度見たいと思ったファンは、きっと私だけではないだろう。 

ローズ、おかえり! 

 

 

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観客席もなかなかの熱気。

 

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イニングの合間に、ボールを投げてグッズをもえるファン参加型イベントをはさみつつ、試合はサンダーバーズのペースで順調に進んでいった。

 

しかし、6回だっただろうか、サンダーバーズのピッチャー・大家友和が、牽制中の2塁ランナーと揉める事態が発生する。

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フランコ監督が主審に注意を促しにベンチから出て来た。それに対してホームベンチのローズが激しくクレームをつけ始める。選手当人たちよりも、フランコとローズがヒートアップする。

 

緊迫しつつもホットなシーン・・・たとえ数万人の観客がいる試合じゃなくても、変わらずアクティブに野球に取り組むローズとフランコに、しぶとく目頭が熱くなってまう。

肝心の試合はというと、5回表に石川ミリオンスターズに2点返されるも4ー2で富山サンダーバーズ勝利。ローズの華麗なヒットも見れたし、両チームともエキサイティングなプレーを見せてくれた。良い試合だった。 

 

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ピッチャー大家へのヒーローインタビュー。

これでこの日の試合が全て終了した。ちなみにご存じの方も多いようにこの大家も、横浜、メジャーを渡り歩いてきた猛者だ。あらためてゴージャスなメンバーによる試合だったと実感した。

(この1か月後、大家はサンダーバーズを退団、福島ホープスを経て米マイナーリーグに所属後、2016年に現役引退している)

 

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試合後の出口では、選手によるお見送りも。(ローズはいなかった。人気すぎて人だかりができるのを防ぐためだろうか)

 

この頃には、出待ちをしてローズのサインをもらわねば!という意気込と執着が消えていた。
もちろんタイミングがあえばもらおう、という思いはあったけれど、野球そのものを楽しんだ満足感の方がはるかに勝っていたのだ。

 

 

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過去に素晴らしい活躍をみせた近鉄のローズ。
そして今もなお富山でヒットを量産しつつ、コーチとして若手の面倒を見る偉大な野球人だ。 けれど、ローズだけにサインをねだって追いかける私の執着は、野球ファンとして、ローズファンとして、正しい流儀ではないように感じはじめた。 

過去に活躍した選手が、これからの野球シーンを支える若手を育てる。大物選手の入団で集客力が増えることにより、このサイクルがより活性化するだろう。

 

昔からのスター選手を擁しつつも、これからを担う若手選手に挑戦の機会を与えるチーム全体、およびリーグを応援することが、大好きな野球の発展に繋がるのではないだろうか。
ちなみに今回の試合を通して目を引いた若手選手は、富山サンダーバーズのニック・エーキンズ選手。 

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 この日は無安打だったが、ローズのコーチングにより打率を上げている選手の一人だ。

  

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ニック、応援してるよ!

(ニック選手はこの試合の2週間後にサンダーバーズを退団している。2017年現在、野球を続けているかどうかの情報を得ることができない)

 

 

試合を純粋に楽しみ、ドキドキしながらネットの向こうにいる選手に声援を送る・・・

 

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この日、富山で14歳の自分に戻れたような気がした。

 

 

BCリーグの試合を観に行こう

今回が初めての独立リーグ試合観戦だったが、試合自体はNPB同様のテンポで非常に楽しめた。

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各チームの応援団といっしょになって声援を送る。地元ファンの温かさ、そして熱気を身近に感じられる。

いいな、野球。

いいよ、BCリーグ

私のように、昔好きだったスター選手に会いに行くもよし、これから期待される若手選手の成長を見守るもよし。
また入場料が1000円前後と手ごろな価格なので、野球観戦ビギナーにもおすすめだ。

北陸以外にもリーグがあるし、私も今度、埼玉の武蔵ヒートベアーズの試合に日帰りで行こうと思う。

みんなで観よう、BCリーグ 

◆◆◆◆◆◆

おまけ

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試合後すぐに球場から出てきたフランコ監督と2ショット。

写真を撮るとき、やさしく肩を抱き寄せられた・・・そして私の名前をきいてくれ、別れ際に「シバタ、会えてよかった。気をつけてな!」と声をかけてくれて・・・

この時ばかりはローズのことを忘れ、フランコに恋してしまった。

 

目頭以外のところもアツくなる、そんな北陸の夜だった。

 

・・・・・・・・

 

以上が、2015年夏 BCリーグ初観戦の記録である。

 

冒頭にも書いたように、この後東京に戻った私は、NPBBCリーグ問わず、それまでのブランクを埋めるように野球場に足を運ぶこようになり、今に至る。

 

本文だけ読み返してみると、キラキラとした北陸の思い出として綺麗につづられているのだが、その一方でタフィ・ローズ本人は、富山サンダーバーズとの選手兼任コーチの契約を残したまま、2016年シーズン前に、米国での自主トレーニング中の怪我を理由に音信不通になったままである。

本人の意図など知る由もないが、着実にコーチ実績を積むフランコとの違いが歴然としていて、哀しくなってしまう。

 

タフィよいずこ。

 

当ブログの「タフィ・ローズを捜しています」タイトルとコンセプトは、ここから始まっているのである。早く再会して、ブログタイトルを「野球大好き☆キラキラOL日記」に変えたいと願うばかりだ。

 

記録はつづく

 

1998年 横浜スタジアム開幕戦の思い出

すこし前に実家から引きあげてきた野球グッズを整理していると、約20年前に、横浜スタジアムでのペナントレース開幕戦に出向いた時の品が出てきた。

 

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 バックスクリーンの写真1枚と、

 

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入場時にもらったスケジュール帳。

 

今日はこれらについて記録したい。

 

・・・・

タイトルにもある通り、上記の写真は1998年4月3日(金)に横浜スタジアムで行われた、セントラルリーグ公式戦開幕試合を観にいった時のものだ。

厳密に言うと、野球ではなく、当日始球式を務めたスピードスケート選手の清水宏保氏を観に行ったというほうが正しい。

 

同年に行われた、長野冬季オリンピックにおいて、メダルラッシュをもたらしたひとりである清水氏。クラスメートに熱狂的な清水ファンがいて、野球好きの私を同行者として任命し、春休みを利用して始球式観覧の運びとなったと記憶している。

当時住んでいた大阪から横浜まで、高校2年生にとっては決して安くはない球場チケットと夜行バス代を払って、人生初の関東弾丸旅行をキメたのだ。

 

バックスクリーン以外にも、横浜の風景を"写ルンです"で撮りまくった。

今では利用頻度が減った写真屋で現像してもらい、プリント後は当時流行していたミルキーペンでデコレーションしまくったが、ここでの掲載は割愛する。理由はデコりすぎて写真が汚いことに加え、当時大ブレイク中だった広末涼子を意識した髪型・表情で写る自分自身が痛々しいからだ。

 

バックスクリーンの写真にはなしを戻そう。

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(この写真も御多分に漏れず、ミルキーペンでHIROYASUと日付の文字が書かれている。英語で書けばかっこいいと思っていたのもうっすら恥ずかしい)

この日のカードは、横浜ベイスターズ阪神タイガース。ビジョンに映っているのは野球選手ではなく、ベイスターズのユニフォームを着た清水宏保氏だ。

スタメンは、新庄、藪、石井琢にローズ、谷繁・・・なんと懐かしい&輝かしい面々だろう。

あくまでメインは始球式で、また当時は近鉄バファローズを応援していたこともあり、この日はどちらを応援するわけでもなかったため、フィールドや選手の様子を撮った写真が1枚も見当たらないのが、なんとも惜しい。

 

オレンジががった電光文字もまた懐かしい。横浜スタジアムに限らず、LED普及前後で各球場のスクリーンは大きく様変わりしたように思う。

 

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参考:横浜スタジアム近影

公式サイトによると、バックスクリーンが刷新されたのは2013年。それに先立つ2012年、外野フェンスにもぐるりと細いスクリーン(リボンビジョンというようだ)が設置されており、現地観戦するとにぎやかなビジュアルが楽しい。

 

 

つぎに、スケジュール帳をじっくり見ていきたい。

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今は引退したマスコット・ホッシー。”YOKOHAMA Spirit No.1” がこの年のスローガンだったのだろうか。

 

ページ順にスキャンしたものを掲載する。

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年間カレンダーと球団連絡先、

 

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つづいて公式戦日程のページ。釧路と帯広の球場でも試合をしているのが興味深い。セ・パ交流戦がまだない時代。

 

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1998年4月から1999年3月までの月間スケジュール(ベイスターズ選手誕生日情報付き)がつづき、

 

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アドレス帳のページ。紙のアドレス帳、すっかり使わなくなったなあ。

 

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巻末はチームのデータが掲載されている。監督は、就任1年目の権藤博氏だ。

 

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記録達成選手一覧。のちのメジャーリーガー、佐々木主浩投手がもうすぐ記録達成しようとしていた。

 

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グッズショップの案内と、球団歌に応援歌。球団歌は今でもラッキーセブンなどでよく耳にするが、3番まで歌う機会はあるのだろうか。

 

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最後のページはイースタンリーグと、入場料の案内。席のバリエーションがシンプル。

 

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裏表紙。

 

 

この手帳に当日のチケットが挟まっていた!

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と思ったら、「お買上計算書」だけだった。内野自由席2枚を買ったものと記憶している。まあでも、手帳含めて約20年間、よくぞ保管に耐えてくれたものだ。

 

・・・・

この日は始球式を見届けたあと、試合自体は5回ぐらいまで観てから清水氏の出待ちをして、そのあと夜行バスで大阪に帰ったように記憶している。

 

人生で初めての夜行バス、初めての関東旅行、初めての横浜スタジアムという"初めて尽くし"で、横浜は思い出深い場所となった。

そして1998年はベイスターズが日本一に輝き、夏の甲子園でも横浜高校が優勝したこともあり、特に野球シーンで「アツいヨコハマ」の一年となったのだ。別の目的で出向いたけれど、そんなアツい年が開幕する瞬間に立ち会えてうれしかった。

 

これらの要素のせいか、横浜に出向く際は、未だ無性にワクワクしてしまう。

 

この旅行に同行したクラスメートは、高校卒業とともに付き合いが薄れ音信不通になり、私自身も上京するなど、この20年でいろんな変化を経験したわけだが、「野球が好き」という一本柱は変わらないままである。

 

記録はつづく

 

プロ野球カード記録 その3

野球カードの整理と記録、第3回目。

 

これを書いている2017年7月20日現在、贔屓球団のひとつであるヤクルトスワローズが13連敗を喫してる。

また別球団ではあるが、実力派投手のスキャンダルなど、暗い話題のせいで筆が重いながらも、3枚のカードを記録したい。

 

・・・・・・

福岡ダイエーホークス

背番号100 ハリーホーク

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1995年ベースボールマガジン社製カード。裏面は当時のチームメンバー表で、現福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康はじめ、懐かしい名前が連なっている。

95年の時点ですでにこのマスコットが「ハリーホーク」という名前で活動していたのかどうか、記憶が追いつかなかった。wikipediaが正しければ、92年の球団移転にあわせて既存キャラクターがリファインされ、ハリーホークおよびホークファミリーが誕生したようなので、これを「ハリーホークのカード」として紹介して問題なさそうだ。

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福岡ソフトバンクホークス公式サイトより

公式サイトではこういう設定になっている。なんにしても強いチームのマスコットはカッコよろしおまんな。

 

 

日本ハムファイターズ

背番号9 ティム・マッキントッシュ

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こちらも1995年ベースボールマガジン社製。

95年といえば、私の野球観戦史上 第一次外国人選手ブーム真っ盛りだった頃だ。リーグ、球団問わず助っ人選手情報には常にアンテナをはりまくっていたので、このかっこいいマッキントッシュ選手についても、当然アレコレの記憶と記録が・・・あるはずなのに・・・この選手については記憶がまったくないのだ。「助っ人好き」を標榜しておきながら、お恥ずかしい限りである。

インターネットの力を借りてみても、そもそも情報母数が少ない上に、「あまり記憶にない」というコメントが散見される。こうなると余計に気になってしまう。というわけで、このマッキントッシュ選手についてよく知る方がいらっしゃれば、twitter@UzaiKansaiJin) 宛てにリプライをいただけると大変幸いです。

 

 

最後はこの選手。

 

福岡ダイエーホークス

背番号9 小久保裕紀

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1994年ベースボールマガジン社製。小久保のプロ入り2年目のカードだ。

2013~2017年の間、野球日本代表の監督を務め、現役時代を知らない世代でも「小久保監督」としての姿は目にしたことがあるのではないだろうか。

監督としての手腕や私服のセンス、ならびに「税のおはなし」でネガティブな意見もしばしば耳にするが、私個人としては小久保に対して特段マイナスの印象はない。このカードの表面を手にとって思ったことは「顔、変わり過ぎ」という一点のみである。

 

小久保よりマッキントッシュ選手の方が、断然気になる。

 

 

・・・・・・

 

全ての野球好きの皆さまが、2017年後半戦を明るく楽しめますよう。

 

記録はつづく

 

オマリーに鶴  ~第一次外国人選手ブーム~

日本のプロ野球の記憶や記録を語るうえで、外国人選手は欠かせない存在だ。助っ人選手という言葉も、個人的には良い呼び方だと思っている。

 

阪神時代の新庄剛志をきっかけに、舐めるように観戦するスタイルを確立したのはこちらの通りであるが、90年代半ば、その剛志を卒業し、今度は外国人選手に注目しまくる「第一次外国人選手ブーム」が私の野球観戦人生に到来することとなる。

そのきっかけとなった選手や当時のあれこれについて、野球以外のことも交えながら記録したい。

 

・・・・・

 

私が野球観戦を開始した80年代後半~90年代は、対戦カードに偏りはあったものの、テレビを点ければ野球の試合を観ることができた。

当時のテレビ放送は「地上波」「CS」など配信方法の区分がなく、「スポーツチャンネル」「映画チャンネル」などのすみわけもなかった。

ちょっとエエとこ(=金持ち)などの家ではBSが導入されていたりもしたけど、とにかくテレビさえあればどこかしらのチャンネルで、ほぼ毎日、野球中継が観られた時代が確かにあったのだ。

 

それと同様に、洋画も多く放送されていたように思う。

毎週決まった曜日に「〇〇洋画劇場」枠として放送されていたほか、深夜や昼下がりの放送でもいろんな旧作を観た記憶がある。

 

定番の「インディ・ジョーンズ」や背伸びして観た「卒業」なんかで、ハリソン・フォードダスティン・ホフマンが好きになり、月刊映画雑誌の「スターに手紙を書いてみよう!」のコーナーで得た知識と、中学校で習いたての英語を駆使し、エアメールでファンレターを送ったりした。

 

野球からずいぶんと話が逸れたが、野球観戦の趣味と並行して、洋画鑑賞に費やす時間と、欧米への憧れが増しながら、私の思春期は始まった。

多感で影響を受けやすい時期ということもあり、男性の見た目の好みが外国人、とりわけコーカサス系へとスイッチしていき、それは野球観戦においても影響をおよぼし始める。

「舐めるように観る」対象が、細身のアイドル新庄剛志から、ガッシリとしたスター外国人選手へと変わっていったのだ。

 

 

舐めるように観た外国人選手 第一号はこのひと。

(大好きだったわりにポスターなどが残っていないため、こちらからお借りする)

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ヤクルトスワローズ 

背番号3

トーマス・オマリー

愛称はトム。

 

金髪をのぞかせヘルメットを浅くかぶり(頭部サイズの関係で深くかぶれなかった説もある)、ガムを噛みながら打席に立つ姿は、私にとって映画以外でみることのできる「アメリカ人男性」の象徴となった。

1塁での大開脚キャッチ・スタイルもかっこよかったし、なにより高い打撃力がスター然としていて、大好きだった。

 

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実家から引き揚げてきたスクラップブック中にあった1995年のトムの記事。

多くのプロ野球選手の私服姿がたびたび悪い意味で世を騒がせてきたのに対し、このシンプルなポロシャツ姿でさらにトム好きが加速した。

 

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記事全体。同年のパ・リーグMVPはオリックス時代のイチローが獲得していた。

 

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トムのサイン色紙。オマリー好き好きと言い続けていたら、友達がもらってきてくれた。

 

 

ヤクルトで活躍する前、トムは阪神の頼れる助っ人だった。ヒーローインタビューでの阪神タイガースファンは、イチバン Yaaaa!」のフレーズや、オマリーの六甲おろしなんかはこれからも語り継がれるのではなかろうか。

 

阪神にいた頃も、トムは好きな選手の一人ではあったが、それでも私にとっては剛志一番だったためほぼノーマークだった。洋画の影響による外国人フィーバーを迎えたのが、ヤクルトへの移籍後だったため、私は猛烈に悔やんだ。

 

「なんでトムが関西におるうちに応援しとかんかったんや・・・東京、遠いわ・・・」

 

歴史は繰り返されるわけで、生・トムに会えないもどかしさを思春期特有の妄想で発散しはじめるだけでなく、ここでハリウッドスターにファンレターを送ってきた経験が(悪い方向に)活きることとなる。

 

ヤクルト球団事務所 トーマス・オマリー選手宛で、お手紙を送る決心をした私。

文面は当たりさわりのない「大好きです、応援してます!」的な内容だったと思うが、それよりもはっきり覚えているのが「プレゼント・フォー・ユー」と折鶴を同封したことだ。

 

当時の私としてはどうにかしてトムの印象に残りたい一心で、日本人の女子中学生からのファンレターに折鶴が入っていたら、トム的にも、なんてかわいいんだ!返事書かなきゃ!って流れになるんジャン・・・と信じて疑わなかった。

 

まあ結論としては返事が来ることもなく、1996年を最後にトムは日本球界から姿を消していた。

中学生から届いた、和柄の、ちょっとクタっとしたキモめの鶴のせいで日本に嫌気がさしたのが原因のひとつでなければいいのだが。

・・・・・

 

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20余年の時を経た2016年、かつてトムが活躍した神宮球場でのヤクルトvs阪神戦後、球団バスに乗った、阪神コーチ時代の彼とすれ違った。

 

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トム、あの時の鶴・・・どうした?

 

心の中で問いかけているうちに、バスは遠くへ走り去った。

 

 ・・・・・

 

思春期特有の思い込みがもたらす一途さと、正しいと思い込んでやまない謎行動、そしてあとから襲ってくる自己嫌悪。

私にとってプロ野球にまつわる思い出は、必ずしもキラキラしたものばかりではないのだ。

 

外国人ブームはこの後、第二次、第三次を経て、2017年6月現在、第四次期を迎えている最中だ。(四次までくると、次数を数えるより普通に「常に好き」というべきだろう)

 

歳を重ねても、変わらない、変われないものがある。

 

記録はつづく

 

プロ野球カード記録 その2

友達からもらった野球カード、まだまだ整理の途中であるが、第二弾として、今日はこの3枚を記録したい。

 

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横浜ベイスターズ

背番号10  駒田 徳広

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1994年ベースボールマガジン社

2017年6月現在、マニー・ラミレス選手の現役復帰で話題になった四国アイランドリーグplus 高知ファイティングドッグスの監督を務めている。経営陣とともに「マニーの好きにさせる」というスタンスが私はとても好きだった。後期残留はほぼ不可能のようだが、マニーにもチームにも、そしてファンにとっても良い結果を残せたのではないだろうか。

マニーの件とあわせて、もう一点はずせない駒田氏の大好きなところは、一般女性が彼に渡したファンレターがきっかけとなり、そのまま交際・結婚した点である。手紙の内容は是非公開していただきたい。参考にしたい。

なにかと夢を見させてくれる野球人。今後の彼の監督活動および野球活動に一層注目していきたい。

 

 

 

阪神タイガース

背番号24  桧山 進次郎

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1995年ベースボールマガジン社

私が新庄剛志に熱を上げていた、90年代初頭に売り出しはじめた若手選手というイメージが強い。代打で活躍した良い選手だったように記憶しているが、いかんせんタイガース自体が暗黒期たけなわということもあり、失礼ながら、個人的にはどうしても暗い印象が先行してしまう。

ニックネームは「悠久の若虎」。残念ながら当時10代前半だった私にはあまり意味がわからなかったし、40歳近くなった今もなお、わからないままである。

2017年現在はスポーツコメンテーターを務め、関西方面でよくお見かけする。

 

 

オリックスブルーウェーブ

背番号90  佐藤 和弘

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1994年ベースボールマガジン社

1989年の入団当初から、パンチパーマがトレードマークでニックネームはパンチ佐藤。「真面目にひょうきん」と言うべきか、本人には悪いが、野球以外のパフォーマンスのほうが記憶に残っている。現役時代~引退後とおしてバラエティ番組などのゲストとして重宝されている。

このカードがリリースされた1994年、仰木彬氏がブルーウェーブの監督に就任。同氏は選手売り出し・チーム一新戦略の一環として、4月7日から佐藤の登録名を「パンチ」とした。(なのでこのカードは4月以前に作成された可能性が高い)同時に入団4年目の鈴木一朗も「イチロー」として登録させた。

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これが世界のICHIROの始まりだった。

このように、カードを手にとって真っ先に頭に浮かんだのは、仰木監督の存在と、彼が率いた神戸の強いチームの記憶だ。パンチのカードの記録なのに、ついつい監督の話が長くなってしまうのでまた別の機会に記録したい。

話を戻して、パンチのように突き抜けたキャラクターを持った選手、個人的には、特に今のセ・リーグに存在していてほしいと思う。

ファンがみたいのは、スマートで、クールなプレースタイルだけではないはずだ。

 

・・・・・

連敗で失望させるな、などと荒ぶるファンも多けれど、プロ野球はじめスポーツチームの応援には、失望と希望の波をのりこなす技と覚悟が必要だと私は思う。

 

2017年6月8日(木)ヤクルト、巨人の大連敗の思い出にかえて

 

記録は続く

KANSAI CLASSIC 2017 観戦記録

もう一か月も前の話になるが、ソフトバンク南海ホークスオリックス近鉄バファローズ/阪急ブレーブスとして復刻試合を行うKANSAI CLASSIC 2017シリーズを観に行ってきた。

父親が南海ファン、私自身がブログタイトルにもなっている、タフィ・ローズが在籍していた近鉄を応援していたので、以前より観戦してみたいと思いつつ、諸事情によりかなわなかった念願のイベント。

いい大人が、本当に1990年代にタイムスリップしたような経験ができたので、記録しておきたい。

近鉄に偏った文章・情報となることと、画像のブレは現地の興奮をあらわすものとしてご了承ください

  ・・・・・・・

KANSAI CLASSICとは

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オリックス・バファローズ公式サイトより引用

 

プロ野球好きや昔からパ・リーグを応援してきた方たちにとっては不要かもしれないが、KANSAI CLASSICについて、簡単に説明しておきたい。

2013年より、オリックス・バファローズが、福岡ソフトバンクホークスを迎えて行う主管試合のうち、年1カード(2-3試合)で展開する復刻ユニフォーム着用型のシリーズである。

OSAKAクラシック-Wikipedia

『OSAKAクラシック』として始まって以来ほぼ毎年開催されているが、2017年は上記に阪急ブレーブスの復刻を加え、名称が『KANSAI CLASSIC』と刷新されたわけだ。

くだけた説明をすると、南海・近鉄・阪急を応援していたオッサンオバハンらにとっては、特に垂涎の野球イベントとなる。

 

当時のグッズをフル装備

観戦したのは4月29日(土)、シリーズ6戦中 2戦目の近鉄vs南海戦。同行者は中学時代の友人2名で、うち1名は、近鉄私設応援団員をやっていた親をもち、彼女に連れていってもらったのがきっかけで私も藤井寺球場に通うこととなったキーパーソンだ。

 

シリーズ開幕前から、twitterなどで復刻グッズ発売情報が流れており、試合観戦以外にも楽しみが増える。復刻品は実物を見ていいモノがあれば現地で買うとして、我々は"当時品"で身を固めて京セラドームへと向かった。

 

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私の着用アイテムは友達がくれたレッドdeハッスルTシャツ。タフィ・ローズを捜している意地として、1000本安打記念タオル(画像下)と富山サンダーバーズのタオル(画像上)も巻いていった。写真はないが、ボトムスは黒のスカート、黒サンダルに赤い靴下という猛牛(狂牛)コーデで臨んだ。

 

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番号がみえにくいが、古久保捕手のオーセンティック・ユニフォームを着た友達と、

 

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1997年 大阪ドームオープン前に配布されたうちわも持参して、火照ったカラダをチルアウト。

当時品を装備したファンは我々以外にもかなり多かった。みんなちゃんと保存してるものなんだな。

 

復刻グッズを買いにいく

試合開始まで時間があったので、グッズショップを物色しに行った。

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入り口付近からして異様な熱気だったが、やはり近鉄復刻グッズコーナーの人だかりはすごく、40歳~上と思しきファンが鼻息あらくレジに列をなしていた。ゆっくりショッピングできる雰囲気とはほど遠いなか、人のあいだをぬって猛牛グッズを手に取る。

 

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購入品はトートバッグ2色、バッファ君手ぬぐい、クリアファイル。どれも当時品にはないテイストが気に入っている。5000円以上の買い物でKANSAI CLASSICファイル(右上)がもらえたが私は僅かに購入金額が満たず、友達が譲ってくれた。もらってばかりの猛牛乞食で心苦しいかぎりだ。

 

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近鉄ヘルメットフードも売られていた。枝豆をゲットして試合に備える。

 

スタメン発表~試合開始

ショッピングの熱気がさめやらぬうちにスタメン発表の時間となる。

youtubeよりこちらの動画をお借りしたい。

www.youtube.com猛牛マークのついたキャップ姿の選手がスクリーンに映し出されるのを観て、懐かしさにちょっとウルっとしてしまう。

 

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このメガホンも当時品。20余年の時を経てマークが日焼けしてしまっているが、これを持ってまた近鉄の応援ができるとは。

この日の始球式は南海ホークスOB 藤原満氏によって行われ近鉄vs南海第2戦 プレイボール。

前日負けを喫していたが、この日は前半から近鉄の好打が続く。

南海た・お・せ~ オゥ!

 

応援歌も復刻

7回からは両チームの応援歌も復刻された。

パ・リーグTVのまとめをお借りする。

20余年ぶりに生で耳にする応援歌。「ここで一発 近鉄の星♪」から始まるチャンステーマに一番興奮したし、南海側が演った「大空にはばたく♪山本和範♪」も、つい口ずさんでしまう。

 

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応援旗と横断幕も当時のものが掲げられた。「近鉄バファローズの歌」でラッキーセブンをむかえ、あまりの復刻っぷりに視覚・聴覚がシビれてくる。

試合途中、若月選手がマズい守備をみせたときには「バカ月!」「ヘタクソ!」などとヤジが飛ぶ。応援チームの選手に対するストレートなノリも"ザ・近鉄"といったところ。

そして隣には、20年前一緒に野球を観ていた友達がいて、グラウンドには当時のユニフォームを着た選手たちがいる・・・ もうこの頃になると「あれ、ここ藤井寺かな・・・?あの選手、ダイちゃんかな・・・?」という錯覚に陥ってしまった。

 

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 ※ダイちゃん=大石大二郎選手

 

近鉄勝利

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8回まで6対1で近鉄がリード。9回表にデスパイネ選手のヒットで2点差まで詰められるも、平野投手がなんとか抑える。もっとスっと勝てんのかい!と最後までヤジを飛ばされながらも、6対4で近鉄勝利した。

 

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この日のヒーロー、モレル選手とコーク投手がグラウンドを一周するのを見守りながら、

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近鉄バファローズの歌」をまたみんなで歌う。

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ビジョンをみながらたそがれる、ブライアントユニフォームの男性の姿が印象的だった。

復刻試合をとおして、みんなそれぞれに、あの頃の野球とあの頃の自分を思い出しているのかもしれない。

 

この日はナイター。21時半ごろにドームをあとにした。

バファローズの歌が流れる煌々とした球場内から、一気に2017年の大阪・大正区の夜に心身が戻される。数々の復刻要素と、ドーム内外の物理的なギャップも手伝い、本当に1990年代の球場にタイムスリップしたかのような体験ができた。

来てよかった・・・!

 

・・・・・・・

球団再編問題勃発、近鉄球団消滅からはや13年。呑気に復刻イベントを開催するのもいいけど、あの時の教訓は今は活かされているのか?という意見もある。私自身、あのへんのゴタゴタで、2000年代後半はなんとなく野球観戦から遠ざかっていた。

ただ、こうしたイベントがきっかけでもう一度野球を観てみようかな、と感じた人もいるかもしれない。また当時を知らない世代でも純粋に試合を楽しめたのなら、このシリーズには十分意味があると思う。私自身、バファローズをもう一度応援したくなった。

 

来年以降もまたこうしたイベントがあれば、ぜひ観戦して、グッズショップで猛牛ショッピングしたい。でも今回感じたタイムスリップ気分は、何度も経験できるものではないように思う。

実際に藤井寺球場で観戦していた思い出とともに胸にしまっておきたい、などと書くと、オバハン、ノスタルジーに浸りすぎだろうか。

 

記録はつづく