タフィ・ローズを捜しています

80年代、90年代のプロ野球の記憶を記録していきます。最愛の野球選手であるタフィ・ローズに再会するその日まで。たまに野球以外の記録も。

1998年 横浜スタジアム開幕戦の思い出

すこし前に実家から引きあげてきた野球グッズを整理していると、約20年前に、横浜スタジアムでのペナントレース開幕戦に出向いた時の品が出てきた。

 

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 バックスクリーンの写真1枚と、

 

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入場時にもらったスケジュール帳。

 

今日はこれらについて記録したい。

 

・・・・

タイトルにもある通り、上記の写真は1998年4月3日(金)に横浜スタジアムで行われた、セントラルリーグ公式戦開幕試合を観にいった時のものだ。

厳密に言うと、野球ではなく、当日始球式を務めたスピードスケート選手の清水宏保氏を観に行ったというほうが正しい。

 

同年に行われた、長野冬季オリンピックにおいて、メダルラッシュをもたらしたひとりである清水氏。クラスメートに熱狂的な清水ファンがいて、野球好きの私を同行者として任命し、春休みを利用して始球式観覧の運びとなったと記憶している。

当時住んでいた大阪から横浜まで、高校2年生にとっては決して安くはない球場チケットと夜行バス代を払って、人生初の関東弾丸旅行をキメたのだ。

 

バックスクリーン以外にも、横浜の風景を"写ルンです"で撮りまくった。

今では利用頻度が減った写真屋で現像してもらい、プリント後は当時流行していたミルキーペンでデコレーションしまくったが、ここでの掲載は割愛する。理由はデコりすぎて写真が汚いことに加え、当時大ブレイク中だった広末涼子を意識した髪型・表情で写る自分自身が痛々しいからだ。

 

バックスクリーンの写真にはなしを戻そう。

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(この写真も御多分に漏れず、ミルキーペンでHIROYASUと日付の文字が書かれている。英語で書けばかっこいいと思っていたのもうっすら恥ずかしい)

この日のカードは、横浜ベイスターズ阪神タイガース。ビジョンに映っているのは野球選手ではなく、ベイスターズのユニフォームを着た清水宏保氏だ。

スタメンは、新庄、藪、石井琢にローズ、谷繁・・・なんと懐かしい&輝かしい面々だろう。

あくまでメインは始球式で、また当時は近鉄バファローズを応援していたこともあり、この日はどちらを応援するわけでもなかったため、フィールドや選手の様子を撮った写真が1枚も見当たらないのが、なんとも惜しい。

 

オレンジががった電光文字もまた懐かしい。横浜スタジアムに限らず、LED普及前後で各球場のスクリーンは大きく様変わりしたように思う。

 

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参考:横浜スタジアム近影

公式サイトによると、バックスクリーンが刷新されたのは2013年。それに先立つ2012年、外野フェンスにもぐるりと細いスクリーン(リボンビジョンというようだ)が設置されており、現地観戦するとにぎやかなビジュアルが楽しい。

 

 

つぎに、スケジュール帳をじっくり見ていきたい。

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今は引退したマスコット・ホッシー。”YOKOHAMA Spirit No.1” がこの年のスローガンだったのだろうか。

 

ページ順にスキャンしたものを掲載する。

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年間カレンダーと球団連絡先、

 

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つづいて公式戦日程のページ。釧路と帯広の球場でも試合をしているのが興味深い。セ・パ交流戦がまだない時代。

 

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1998年4月から1999年3月までの月間スケジュール(ベイスターズ選手誕生日情報付き)がつづき、

 

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アドレス帳のページ。紙のアドレス帳、すっかり使わなくなったなあ。

 

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巻末はチームのデータが掲載されている。監督は、就任1年目の権藤博氏だ。

 

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記録達成選手一覧。のちのメジャーリーガー、佐々木主浩投手がもうすぐ記録達成しようとしていた。

 

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グッズショップの案内と、球団歌に応援歌。球団歌は今でもラッキーセブンなどでよく耳にするが、3番まで歌う機会はあるのだろうか。

 

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最後のページはイースタンリーグと、入場料の案内。席のバリエーションがシンプル。

 

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裏表紙。

 

 

この手帳に当日のチケットが挟まっていた!

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と思ったら、「お買上計算書」だけだった。内野自由席2枚を買ったものと記憶している。まあでも、手帳含めて約20年間、よくぞ保管に耐えてくれたものだ。

 

・・・・

この日は始球式を見届けたあと、試合自体は5回ぐらいまで観てから清水氏の出待ちをして、そのあと夜行バスで大阪に帰ったように記憶している。

 

人生で初めての夜行バス、初めての関東旅行、初めての横浜スタジアムという"初めて尽くし"で、横浜は思い出深い場所となった。

そして1998年はベイスターズが日本一に輝き、夏の甲子園でも横浜高校が優勝したこともあり、特に野球シーンで「アツいヨコハマ」の一年となったのだ。別の目的で出向いたけれど、そんなアツい年が開幕する瞬間に立ち会えてうれしかった。

 

これらの要素のせいか、横浜に出向く際は、未だ無性にワクワクしてしまう。

 

この旅行に同行したクラスメートは、高校卒業とともに付き合いが薄れ音信不通になり、私自身も上京するなど、この20年でいろんな変化を経験したわけだが、「野球が好き」という一本柱は変わらないままである。

 

記録はつづく

 

プロ野球カード記録 その3

野球カードの整理と記録、第3回目。

 

これを書いている2017年7月20日現在、贔屓球団のひとつであるヤクルトスワローズが13連敗を喫してる。

また別球団ではあるが、実力派投手のスキャンダルなど、暗い話題のせいで筆が重いながらも、3枚のカードを記録したい。

 

・・・・・・

福岡ダイエーホークス

背番号100 ハリーホーク

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1995年ベースボールマガジン社製カード。裏面は当時のチームメンバー表で、現福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康はじめ、懐かしい名前が連なっている。

95年の時点ですでにこのマスコットが「ハリーホーク」という名前で活動していたのかどうか、記憶が追いつかなかった。wikipediaが正しければ、92年の球団移転にあわせて既存キャラクターがリファインされ、ハリーホークおよびホークファミリーが誕生したようなので、これを「ハリーホークのカード」として紹介して問題なさそうだ。

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福岡ソフトバンクホークス公式サイトより

公式サイトではこういう設定になっている。なんにしても強いチームのマスコットはカッコよろしおまんな。

 

 

日本ハムファイターズ

背番号9 ティム・マッキントッシュ

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こちらも1995年ベースボールマガジン社製。

95年といえば、私の野球観戦史上 第一次外国人選手ブーム真っ盛りだった頃だ。リーグ、球団問わず助っ人選手情報には常にアンテナをはりまくっていたので、このかっこいいマッキントッシュ選手についても、当然アレコレの記憶と記録が・・・あるはずなのに・・・この選手については記憶がまったくないのだ。「助っ人好き」を標榜しておきながら、お恥ずかしい限りである。

インターネットの力を借りてみても、そもそも情報母数が少ない上に、「あまり記憶にない」というコメントが散見される。こうなると余計に気になってしまう。というわけで、このマッキントッシュ選手についてよく知る方がいらっしゃれば、twitter@UzaiKansaiJin) 宛てにリプライをいただけると大変幸いです。

 

 

最後はこの選手。

 

福岡ダイエーホークス

背番号9 小久保裕紀

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1994年ベースボールマガジン社製。小久保のプロ入り2年目のカードだ。

2013~2017年の間、野球日本代表の監督を務め、現役時代を知らない世代でも「小久保監督」としての姿は目にしたことがあるのではないだろうか。

監督としての手腕や私服のセンス、ならびに「税のおはなし」でネガティブな意見もしばしば耳にするが、私個人としては小久保に対して特段マイナスの印象はない。このカードの表面を手にとって思ったことは「顔、変わり過ぎ」という一点のみである。

 

小久保よりマッキントッシュ選手の方が、断然気になる。

 

 

・・・・・・

 

全ての野球好きの皆さまが、2017年後半戦を明るく楽しめますよう。

 

記録はつづく

 

オマリーに鶴  ~第一次外国人選手ブーム~

日本のプロ野球の記憶や記録を語るうえで、外国人選手は欠かせない存在だ。助っ人選手という言葉も、個人的には良い呼び方だと思っている。

 

阪神時代の新庄剛志をきっかけに、舐めるように観戦するスタイルを確立したのはこちらの通りであるが、90年代半ば、その剛志を卒業し、今度は外国人選手に注目しまくる「第一次外国人選手ブーム」が私の野球観戦人生に到来することとなる。

そのきっかけとなった選手や当時のあれこれについて、野球以外のことも交えながら記録したい。

 

・・・・・

 

私が野球観戦を開始した80年代後半~90年代は、対戦カードに偏りはあったものの、テレビを点ければ野球の試合を観ることができた。

当時のテレビ放送は「地上波」「CS」など配信方法の区分がなく、「スポーツチャンネル」「映画チャンネル」などのすみわけもなかった。

ちょっとエエとこ(=金持ち)などの家ではBSが導入されていたりもしたけど、とにかくテレビさえあればどこかしらのチャンネルで、ほぼ毎日、野球中継が観られた時代が確かにあったのだ。

 

それと同様に、洋画も多く放送されていたように思う。

毎週決まった曜日に「〇〇洋画劇場」枠として放送されていたほか、深夜や昼下がりの放送でもいろんな旧作を観た記憶がある。

 

定番の「インディ・ジョーンズ」や背伸びして観た「卒業」なんかで、ハリソン・フォードダスティン・ホフマンが好きになり、月刊映画雑誌の「スターに手紙を書いてみよう!」のコーナーで得た知識と、中学校で習いたての英語を駆使し、エアメールでファンレターを送ったりした。

 

野球からずいぶんと話が逸れたが、野球観戦の趣味と並行して、洋画鑑賞に費やす時間と、欧米への憧れが増しながら、私の思春期は始まった。

多感で影響を受けやすい時期ということもあり、男性の見た目の好みが外国人、とりわけコーカサス系へとスイッチしていき、それは野球観戦においても影響をおよぼし始める。

「舐めるように観る」対象が、細身のアイドル新庄剛志から、ガッシリとしたスター外国人選手へと変わっていったのだ。

 

 

舐めるように観た外国人選手 第一号はこのひと。

(大好きだったわりにポスターなどが残っていないため、こちらからお借りする)

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ヤクルトスワローズ 

背番号3

トーマス・オマリー

愛称はトム。

 

金髪をのぞかせヘルメットを浅くかぶり(頭部サイズの関係で深くかぶれなかった説もある)、ガムを噛みながら打席に立つ姿は、私にとって映画以外でみることのできる「アメリカ人男性」の象徴となった。

1塁での大開脚キャッチ・スタイルもかっこよかったし、なにより高い打撃力がスター然としていて、大好きだった。

 

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実家から引き揚げてきたスクラップブック中にあった1995年のトムの記事。

多くのプロ野球選手の私服姿がたびたび悪い意味で世を騒がせてきたのに対し、このシンプルなポロシャツ姿でさらにトム好きが加速した。

 

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記事全体。同年のパ・リーグMVPはオリックス時代のイチローが獲得していた。

 

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トムのサイン色紙。オマリー好き好きと言い続けていたら、友達がもらってきてくれた。

 

 

ヤクルトで活躍する前、トムは阪神の頼れる助っ人だった。ヒーローインタビューでの阪神タイガースファンは、イチバン Yaaaa!」のフレーズや、オマリーの六甲おろしなんかはこれからも語り継がれるのではなかろうか。

 

阪神にいた頃も、トムは好きな選手の一人ではあったが、それでも私にとっては剛志一番だったためほぼノーマークだった。洋画の影響による外国人フィーバーを迎えたのが、ヤクルトへの移籍後だったため、私は猛烈に悔やんだ。

 

「なんでトムが関西におるうちに応援しとかんかったんや・・・東京、遠いわ・・・」

 

歴史は繰り返されるわけで、生・トムに会えないもどかしさを思春期特有の妄想で発散しはじめるだけでなく、ここでハリウッドスターにファンレターを送ってきた経験が(悪い方向に)活きることとなる。

 

ヤクルト球団事務所 トーマス・オマリー選手宛で、お手紙を送る決心をした私。

文面は当たりさわりのない「大好きです、応援してます!」的な内容だったと思うが、それよりもはっきり覚えているのが「プレゼント・フォー・ユー」と折鶴を同封したことだ。

 

当時の私としてはどうにかしてトムの印象に残りたい一心で、日本人の女子中学生からのファンレターに折鶴が入っていたら、トム的にも、なんてかわいいんだ!返事書かなきゃ!って流れになるんジャン・・・と信じて疑わなかった。

 

まあ結論としては返事が来ることもなく、1996年を最後にトムは日本球界から姿を消していた。

中学生から届いた、和柄の、ちょっとクタっとしたキモめの鶴のせいで日本に嫌気がさしたのが原因のひとつでなければいいのだが。

・・・・・

 

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20余年の時を経た2016年、かつてトムが活躍した神宮球場でのヤクルトvs阪神戦後、球団バスに乗った、阪神コーチ時代の彼とすれ違った。

 

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トム、あの時の鶴・・・どうした?

 

心の中で問いかけているうちに、バスは遠くへ走り去った。

 

 ・・・・・

 

思春期特有の思い込みがもたらす一途さと、正しいと思い込んでやまない謎行動、そしてあとから襲ってくる自己嫌悪。

私にとってプロ野球にまつわる思い出は、必ずしもキラキラしたものばかりではないのだ。

 

外国人ブームはこの後、第二次、第三次を経て、2017年6月現在、第四次期を迎えている最中だ。(四次までくると、次数を数えるより普通に「常に好き」というべきだろう)

 

歳を重ねても、変わらない、変われないものがある。

 

記録はつづく

 

プロ野球カード記録 その2

友達からもらった野球カード、まだまだ整理の途中であるが、第二弾として、今日はこの3枚を記録したい。

 

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横浜ベイスターズ

背番号10  駒田 徳広

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1994年ベースボールマガジン社

2017年6月現在、マニー・ラミレス選手の現役復帰で話題になった四国アイランドリーグplus 高知ファイティングドッグスの監督を務めている。経営陣とともに「マニーの好きにさせる」というスタンスが私はとても好きだった。後期残留はほぼ不可能のようだが、マニーにもチームにも、そしてファンにとっても良い結果を残せたのではないだろうか。

マニーの件とあわせて、もう一点はずせない駒田氏の大好きなところは、一般女性が彼に渡したファンレターがきっかけとなり、そのまま交際・結婚した点である。手紙の内容は是非公開していただきたい。参考にしたい。

なにかと夢を見させてくれる野球人。今後の彼の監督活動および野球活動に一層注目していきたい。

 

 

 

阪神タイガース

背番号24  桧山 進次郎

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1995年ベースボールマガジン社

私が新庄剛志に熱を上げていた、90年代初頭に売り出しはじめた若手選手というイメージが強い。代打で活躍した良い選手だったように記憶しているが、いかんせんタイガース自体が暗黒期たけなわということもあり、失礼ながら、個人的にはどうしても暗い印象が先行してしまう。

ニックネームは「悠久の若虎」。残念ながら当時10代前半だった私にはあまり意味がわからなかったし、40歳近くなった今もなお、わからないままである。

2017年現在はスポーツコメンテーターを務め、関西方面でよくお見かけする。

 

 

オリックスブルーウェーブ

背番号90  佐藤 和弘

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1994年ベースボールマガジン社

1989年の入団当初から、パンチパーマがトレードマークでニックネームはパンチ佐藤。「真面目にひょうきん」と言うべきか、本人には悪いが、野球以外のパフォーマンスのほうが記憶に残っている。現役時代~引退後とおしてバラエティ番組などのゲストとして重宝されている。

このカードがリリースされた1994年、仰木彬氏がブルーウェーブの監督に就任。同氏は選手売り出し・チーム一新戦略の一環として、4月7日から佐藤の登録名を「パンチ」とした。(なのでこのカードは4月以前に作成された可能性が高い)同時に入団4年目の鈴木一朗も「イチロー」として登録させた。

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これが世界のICHIROの始まりだった。

このように、カードを手にとって真っ先に頭に浮かんだのは、仰木監督の存在と、彼が率いた神戸の強いチームの記憶だ。パンチのカードの記録なのに、ついつい監督の話が長くなってしまうのでまた別の機会に記録したい。

話を戻して、パンチのように突き抜けたキャラクターを持った選手、個人的には、特に今のセ・リーグに存在していてほしいと思う。

ファンがみたいのは、スマートで、クールなプレースタイルだけではないはずだ。

 

・・・・・

連敗で失望させるな、などと荒ぶるファンも多けれど、プロ野球はじめスポーツチームの応援には、失望と希望の波をのりこなす技と覚悟が必要だと私は思う。

 

2017年6月8日(木)ヤクルト、巨人の大連敗の思い出にかえて

 

記録は続く

KANSAI CLASSIC 2017 観戦記録

もう一か月も前の話になるが、ソフトバンク南海ホークスオリックス近鉄バファローズ/阪急ブレーブスとして復刻試合を行うKANSAI CLASSIC 2017シリーズを観に行ってきた。

父親が南海ファン、私自身がブログタイトルにもなっている、タフィ・ローズが在籍していた近鉄を応援していたので、以前より観戦してみたいと思いつつ、諸事情によりかなわなかった念願のイベント。

いい大人が、本当に1990年代にタイムスリップしたような経験ができたので、記録しておきたい。

近鉄に偏った文章・情報となることと、画像のブレは現地の興奮をあらわすものとしてご了承ください

  ・・・・・・・

KANSAI CLASSICとは

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オリックス・バファローズ公式サイトより引用

 

プロ野球好きや昔からパ・リーグを応援してきた方たちにとっては不要かもしれないが、KANSAI CLASSICについて、簡単に説明しておきたい。

2013年より、オリックス・バファローズが、福岡ソフトバンクホークスを迎えて行う主管試合のうち、年1カード(2-3試合)で展開する復刻ユニフォーム着用型のシリーズである。

OSAKAクラシック-Wikipedia

『OSAKAクラシック』として始まって以来ほぼ毎年開催されているが、2017年は上記に阪急ブレーブスの復刻を加え、名称が『KANSAI CLASSIC』と刷新されたわけだ。

くだけた説明をすると、南海・近鉄・阪急を応援していたオッサンオバハンらにとっては、特に垂涎の野球イベントとなる。

 

当時のグッズをフル装備

観戦したのは4月29日(土)、シリーズ6戦中 2戦目の近鉄vs南海戦。同行者は中学時代の友人2名で、うち1名は、近鉄私設応援団員をやっていた親をもち、彼女に連れていってもらったのがきっかけで私も藤井寺球場に通うこととなったキーパーソンだ。

 

シリーズ開幕前から、twitterなどで復刻グッズ発売情報が流れており、試合観戦以外にも楽しみが増える。復刻品は実物を見ていいモノがあれば現地で買うとして、我々は"当時品"で身を固めて京セラドームへと向かった。

 

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私の着用アイテムは友達がくれたレッドdeハッスルTシャツ。タフィ・ローズを捜している意地として、1000本安打記念タオル(画像下)と富山サンダーバーズのタオル(画像上)も巻いていった。写真はないが、ボトムスは黒のスカート、黒サンダルに赤い靴下という猛牛(狂牛)コーデで臨んだ。

 

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番号がみえにくいが、古久保捕手のオーセンティック・ユニフォームを着た友達と、

 

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1997年 大阪ドームオープン前に配布されたうちわも持参して、火照ったカラダをチルアウト。

当時品を装備したファンは我々以外にもかなり多かった。みんなちゃんと保存してるものなんだな。

 

復刻グッズを買いにいく

試合開始まで時間があったので、グッズショップを物色しに行った。

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入り口付近からして異様な熱気だったが、やはり近鉄復刻グッズコーナーの人だかりはすごく、40歳~上と思しきファンが鼻息あらくレジに列をなしていた。ゆっくりショッピングできる雰囲気とはほど遠いなか、人のあいだをぬって猛牛グッズを手に取る。

 

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購入品はトートバッグ2色、バッファ君手ぬぐい、クリアファイル。どれも当時品にはないテイストが気に入っている。5000円以上の買い物でKANSAI CLASSICファイル(右上)がもらえたが私は僅かに購入金額が満たず、友達が譲ってくれた。もらってばかりの猛牛乞食で心苦しいかぎりだ。

 

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近鉄ヘルメットフードも売られていた。枝豆をゲットして試合に備える。

 

スタメン発表~試合開始

ショッピングの熱気がさめやらぬうちにスタメン発表の時間となる。

youtubeよりこちらの動画をお借りしたい。

www.youtube.com猛牛マークのついたキャップ姿の選手がスクリーンに映し出されるのを観て、懐かしさにちょっとウルっとしてしまう。

 

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このメガホンも当時品。20余年の時を経てマークが日焼けしてしまっているが、これを持ってまた近鉄の応援ができるとは。

この日の始球式は南海ホークスOB 藤原満氏によって行われ近鉄vs南海第2戦 プレイボール。

前日負けを喫していたが、この日は前半から近鉄の好打が続く。

南海た・お・せ~ オゥ!

 

応援歌も復刻

7回からは両チームの応援歌も復刻された。

パ・リーグTVのまとめをお借りする。

20余年ぶりに生で耳にする応援歌。「ここで一発 近鉄の星♪」から始まるチャンステーマに一番興奮したし、南海側が演った「大空にはばたく♪山本和範♪」も、つい口ずさんでしまう。

 

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応援旗と横断幕も当時のものが掲げられた。「近鉄バファローズの歌」でラッキーセブンをむかえ、あまりの復刻っぷりに視覚・聴覚がシビれてくる。

試合途中、若月選手のマズい守備をみせたときには「バカ月!」「ヘタクソ!」などとヤジが飛ぶ。応援チームの選手に対するストレートなノリも"ザ・近鉄"といったところ。

そして隣には、20年前一緒に野球を観ていた友達がいて、グラウンドには当時のユニフォームを着た選手たちがいる・・・ もうこの頃になると「あれ、ここ藤井寺かな・・・?あの選手、ダイちゃんかな・・・?」という錯覚に陥ってしまった。

 

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 ※ダイちゃん=大石大二郎選手

 

近鉄勝利

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8回まで6対1で近鉄がリード。9回表にデスパイネ選手のヒットで2点差まで詰められるも、平野投手がなんとか抑える。もっとスっと勝てんのかい!と最後までヤジを飛ばされながらも、6対4で近鉄勝利した。

 

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この日のヒーロー、モレル選手とコーク投手がグラウンドを一周するのを見守りながら、

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近鉄バファローズの歌」をまたみんなで歌う。

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ビジョンをみながらたそがれる、ブライアントユニフォームの男性の姿が印象的だった。

復刻試合をとおして、みんなそれぞれに、あの頃の野球とあの頃の自分を思い出しているのかもしれない。

 

この日はナイター。21時半ごろにドームをあとにした。

バファローズの歌が流れる煌々とした球場内から、一気に2017年の大阪・大正区の夜に心身が戻される。数々の復刻要素と、ドーム内外の物理的なギャップも手伝い、本当に1990年代の球場にタイムスリップしたかのような体験ができた。

来てよかった・・・!

 

・・・・・・・

球団再編問題勃発、近鉄球団消滅からはや13年。呑気に復刻イベントを開催するのもいいけど、あの時の教訓は今は活かされているのか?という意見もある。私自身、あのへんのゴタゴタで、2000年代後半はなんとなく野球観戦から遠ざかっていた。

ただ、こうしたイベントがきっかけでもう一度野球を観てみようかな、と感じた人もいるかもしれない。また当時を知らない世代でも純粋に試合を楽しめたのなら、このシリーズには十分意味があると思う。私自身、バファローズをもう一度応援したくなった。

 

来年以降もまたこうしたイベントがあれば、ぜひ観戦して、グッズショップで猛牛ショッピングしたい。でも今回感じたタイムスリップ気分は、何度も経験できるものではないように思う。

実際に藤井寺球場で観戦していた思い出とともに胸にしまっておきたい、などと書くと、オバハン、ノスタルジーに浸りすぎだろうか。

 

記録はつづく

プロ野球カード記録 その1

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友達にもらったプロ野球カードの束。

 

ざっと見てみると、90年代の選手カードが多い。なつかしの選手だけでなく、今も現役でプレーする選手のカードに加え、試合日程表なんかも含まれている。

 

私も昔、プロ野球チップスカードや球場でもらえるものなどを集めていたけれど、引っ越しなどの節目でほとんど処分してしまって後悔している。物持ちがいいのは貴重なことだ。

 

これからチームごとにファイリングしていく予定だが、せっかくなので、ただホルダーに入れて自宅保管するだけではなく、当ブログでの思い出話の合間に、少しずつ記録していこうと思う。

 

・・・・・・・

今回は、束のなから無作為に3枚選んでみた。

 

 

読売ジャイアンツ

背番号24 石毛 博史

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1995年ベースボールマガジン社製カード。

いわゆる「巨人の石毛」(対義語は「西武の石毛」)。表面に生サインあり。友達が藤井寺球場でもらったのだと思うが、選手との距離が近い球場や、また気前よくサインをくれた選手については、いつまでもいい思い出として残るものだ。石毛氏は昨年まで野球に携わっていたようだが、2017年はどうだろうか。近況求む。

 

福岡ダイエーホークス

背番号4 森脇 浩司

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1994年、こちらもベースボールマガジン社製。

イケメンだのダンディーだのと評価されることが多い森脇。それには同意するが、このカードの裏面写真だけを見ると「濃い口」だなぁいう感想あるのみ。2017年からは中日の走塁コーチとしてチーム再建のサポート役としての活躍が期待されている。はず。

 

近鉄バファロー

背番号2 鈴木 貴久

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1995年 藤井寺球場 入場時配布カード。

北海道出身なので「道産子パワーだ、たっかひさ!」というコールでバッターボックスに立っていたように記憶している。今でも道産子という言葉を目にすると、2004年に急逝した彼を思い出して寂しくなると同時に、日ハムが北海道に移転するとは思ってもいなかったですよね、と問いかけたくなったりする。

 

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以上が本日の3枚だ。のっけから濃い選手を引いてしまった感がある。

思い入れの強かった球団・球場・選手についてはどうしても熱のこもったコメントをしてしまいがちだ。

プロ野球カードの記録 その2」ではもう少し淡々と紹介するように心がけたいが、きっと無理。

プロ野球が好きすぎる。


 

記録はつづく

 

 

 

Dear 新庄剛志、亀山努

はじめに

当ブログに登場する野球グッズのほとんどは、中学時代の友達で、約20年のブランクを経てなお交友してくれているYちゃんに貰ったものです。

どれも保存状態が良く、またかなり貴重なものがたくさんあります。

Yちゃんへの感謝の気持ちを示すとともに、これらを当時の自分の思い出と、おなじく野球好きの親の思い出など、また全く関係ないこともまじえて記録していこうと思います。

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プロ野球が好きだ。

 

 

野球の試合そのもの、球場の空気、自宅や外出先のテレビで観る解説や映像の雰囲気など、すべてが好きだけど、なかでも特定の選手を舐めるように、あるいは血眼になって観戦するのが私のスタイルだ。

 

野球好きの父親の影響で、幼少期からテレビをつければ野球観戦、たまの休日は父に連れられて大阪球場(時として藤井寺球場)へ、という生活だったけれど、小さいころからこのようにいやらしい目で観戦していたわけではなかった。

父の解説とともに、試合の行方をただ純粋に追う、野球好きの少女だったように記憶している。

 

そんな普通の観戦から、「舐めるように観る」スタイルへとフォーム・チェンジをするきっかけとなったのは、小学校高学年時に訪れた、この選手との出会いだ。

 

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阪神タイガース 

背番号63 新庄剛志

 

この下敷きがリリースされた1992年ごろ、「この世にこんなかっこいい野球選手がいるものか・・・」とこどもだった私をはじめ、幅広い世代の女性の野球ファンを虜にしたし、新庄のルックスがきっかけで野球を観はじめたという女性も多かったのではないだろうか。

赤いリストバンも当時としてはセンセーショナルなアイコンだった。

しかし小学生ひとりで甲子園に通い詰める財力も時間もなく、私は生・剛志に会えないもどかしさを、自作の少女マンガと折原みと風のティーンノベルにして消化(昇華)させた。

いずれもバックネットで観戦している私が剛志に見初められるストーリーだったが、家族にみられてバカにされ、死ぬほど恥ずかしい思いをしたのち即溶解処分したため、作品は現存しない。

また「アンネの日記」に影響されて、ノートを「ツヨシ」と名付けて毎日「Dearツヨシ」からはじまる日記もしたためた。こちらも現存しない。

 

 

同時期のタイガースで新庄と同様に人気を誇ったのがこの選手。

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背番号00  亀山 努

新庄とともに、1990年代初頭のタイガースに「亀新フィーバー」なるムーブメントを巻き起こした一人。甘いマスクでなにかにつけてヘッドスライディングをキメる姿がトレードマークだったし、記憶違いでなければヘッスラバージョンの下敷きもリリースされていなかっただろうか。

確かにかっこよかったけど、当時の私には新庄ほど刺さらなかったのでマンガやノベル制作などのイタい思い出はない。

 

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ちなみにどちらも裏面はいさぎよい白。

 

90年代当時は、今と違って、試合開催日の球場以外に買い物できるグッズショップは少なかったように思う。

こどもだった私がなんとなく覚えているのが、大阪ミナミの戎筋の入り口にあった非公式のタイガースグッズ露店で、そこで背番号5時代の剛志の下敷きを買った気がする。

公式品もさることながら、非公式の選手プロマイドなども多数取扱い、あやしいボンバーパーマのオバハンが「買わへんのやったら触らんといてね」などと言いながら店番していなかっただろうか。

 

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そう、このように、試合以外の至極どうでもいいようなことも含め、私はプロ野球が大好きだ。

記録はつづく