プロ野球カード記録 その2
友達からもらった野球カード、まだまだ整理の途中であるが、第二弾として、今日はこの3枚を記録したい。
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背番号10 駒田 徳広
1994年ベースボールマガジン社製
2017年6月現在、マニー・ラミレス選手の現役復帰で話題になった四国アイランドリーグplus 高知ファイティングドッグスの監督を務めている。経営陣とともに「マニーの好きにさせる」というスタンスが私はとても好きだった。後期残留はほぼ不可能のようだが、マニーにもチームにも、そしてファンにとっても良い結果を残せたのではないだろうか。
マニーの件とあわせて、もう一点はずせない駒田氏の大好きなところは、一般女性が彼に渡したファンレターがきっかけとなり、そのまま交際・結婚した点である。手紙の内容は是非公開していただきたい。参考にしたい。
なにかと夢を見させてくれる野球人。今後の彼の監督活動および野球活動に一層注目していきたい。
背番号24 桧山 進次郎
1995年ベースボールマガジン社製
私が新庄剛志に熱を上げていた、90年代初頭に売り出しはじめた若手選手というイメージが強い。代打で活躍した良い選手だったように記憶しているが、いかんせんタイガース自体が暗黒期たけなわということもあり、失礼ながら、個人的にはどうしても暗い印象が先行してしまう。
ニックネームは「悠久の若虎」。残念ながら当時10代前半だった私にはあまり意味がわからなかったし、40歳近くなった今もなお、わからないままである。
2017年現在はスポーツコメンテーターを務め、関西方面でよくお見かけする。
背番号90 佐藤 和弘
1994年ベースボールマガジン社製
1989年の入団当初から、パンチパーマがトレードマークでニックネームはパンチ佐藤。「真面目にひょうきん」と言うべきか、本人には悪いが、野球以外のパフォーマンスのほうが記憶に残っている。現役時代~引退後とおしてバラエティ番組などのゲストとして重宝されている。
このカードがリリースされた1994年、仰木彬氏がブルーウェーブの監督に就任。同氏は選手売り出し・チーム一新戦略の一環として、4月7日から佐藤の登録名を「パンチ」とした。(なのでこのカードは4月以前に作成された可能性が高い)同時に入団4年目の鈴木一朗も「イチロー」として登録させた。
これが世界のICHIROの始まりだった。
このように、カードを手にとって真っ先に頭に浮かんだのは、仰木監督の存在と、彼が率いた神戸の強いチームの記憶だ。パンチのカードの記録なのに、ついつい監督の話が長くなってしまうのでまた別の機会に記録したい。
話を戻して、パンチのように突き抜けたキャラクターを持った選手、個人的には、特に今のセ・リーグに存在していてほしいと思う。
ファンがみたいのは、スマートで、クールなプレースタイルだけではないはずだ。
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連敗で失望させるな、などと荒ぶるファンも多けれど、プロ野球はじめスポーツチームの応援には、失望と希望の波をのりこなす技と覚悟が必要だと私は思う。
2017年6月8日(木)ヤクルト、巨人の大連敗の思い出にかえて
記録は続く