タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その8

開幕直前のブログ更新以来である。

オフシーズンはうだるような長さなのに、いざ開幕してしまうとバタバタと月日が流れ、セ・パ交流戦がまもなく始まろうとしている。

また2018年オールスターゲームの投票も開始された。

来る夏と球宴が楽しみな反面、今年も前半戦があっという間に終わるなあ・・・とちょっと焦ってしまうのはトシのせいにして、オールスターにちなんだ昔のプロ野球カードを1枚紹介したい。

 

 

Pacific Punch(パシフィック パンチ)

オリックスブルーウェーブ

背番号 51

イチロー

 

福岡ダイエーホークス

背番号1

秋山 幸二

 

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1995年ベースボールマガジン社製カード。

このカードに書かれた「Pacific Punch」というフレーズが妙に気に入ってしまった。

 

オリックスブルーウェーブダイエーホークスに所属していたイチロー選手と秋山選手が、それぞれビジユニ(ビジター試合用ユニフォーム)を着用している。

そもそも1995年当時に"ビジユニ"という言葉が野球ファンの間で流通していなかったと思うが、それはさておき、異なるチームの二人がこの格好で揃うということは、オールスター時に撮影されたものか・・・またどこの球場だろうか。

 

確証が持てなかったのでSNSのフォロワーさんに教えていただいたところ、スタンドのフラッグが中日系新聞のものである点、フェンスの色などにより、今は主にファーム球場として活躍しているナゴヤ球場であることがわかった。ありがとうございます。

またベースボールマガジン社製カードは、だいたいカードリリース年より一年度前の画像を使用するので、1994年ナゴヤ球場で開催されたオールスターゲーム第二戦時に撮影されたものでは、と教えてくださる方もいた。重ねてありがとうございます。みなさんすごいなあ。

 

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(カード裏面 1枚に二選手が掲載されたカードをコンビネーション・カードと言うらしい)

 

話を両選手に戻す。

時代、リーグ、チーム問わず素晴らしい選手が活躍した・しているわけであるが、そんな中でも90年代半ばのイチローのブレイクっぷりは語り継がれるに値するだろう。

リアルタイムで当時を知る者からすると、(地味な)パ・リーグに、いきなりでっかい花火が打ちあがったかのような存在だった。現在進行形のメジャーリーグでの活躍については、あえてここで書く必要もないだろう。

また隣に映る秋山選手も、写真撮影されたと思しき94年オールスターでMVPを獲得している。球宴だから、バク転でホーム・インしたりしたのだろうか。

 

パ・リーグのパンチが効きまくったふたり、という意味で、Pacific Punch というフレーズがしっくりくる。

 

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(同時期に活躍したこの方も忘れちゃならないけれど)

 

 

オープン戦、オールスターゲームなど、パ・セリーグが対戦する試合では、パ・チームの応援スタンド側で「白いボールのファンタジー」が歌われる。知るひとぞ知る、といった感じだが、遅ればせながら、私は去年初めて歌われているシーンに気が付いた。

 

www.youtube.com

 

地味なパ・リーグ、応援していたチームがなくなってしまったパ・リーグ・・・などという点を鑑みると、球場で聴く同曲はなかなかに「エモい」ものがある。

 

私も交流戦のうち、何試合かをバファローズ側で応援する予定なので、同曲を情感たっぷりに歌いこなすべく、歌詞をおさらいしておきたい。

 

あとは大好きな選手が球宴出場できるように、投票をしようと思う。

 

余談ではあるが、1990年代前半のオールスター投票は、マークシート式投票用紙上の「新庄剛志」欄をひたすら塗りつぶしたように記憶している。同年代中期~後期は藤井寺球場に設置された投票コーナーで何枚もの用紙上の「タフィ・ローズ」欄をしこたま塗りつぶした。

 

そして今。

球場に行けばマークシート用紙もまだあるけれど、もっぱらオンラインで「ロメロ」を選択し、投票をクリックする日々である。

 

媒体は変われど、小学生時分と行動がなにひとつ変わらないまま、30ン回目の夏を迎えようとしている。

深く考えず、ただ、パンチの効いた夏にしたい。

 

 

記録はつづく