プロ野球カード記録 その10
知人より譲り受けた野球カード。せっかくだからブログに記録していこうと始め、今回が10回目。
カードはまだまだたくさんある。
カード記録記事を書く際は、特定のチーム・選手を基準にカードを選ぶ時と、束から無作為に引き抜く時の2パターンで主に回してきた。
今日は後者。束に指をつっこみ、エイ!と引き抜いたカードがこちら。
竹馬にのった猿…
背番号555
球猿 ゴウくん
2006年から登場したボールモンキー(球審にボールを手渡す猿)である。神戸モンキーズ劇場という、90年代にブームとなった猿軍団系の劇場出身。同時期にロッテマリーンズや広島カープの試合で活躍し始めた「ボール犬」に対抗しての採用だったようだ。
カード配布年は2007年。この頃私はプロ野球観戦から遠ざかっていたこともあり、このゴウくんのことはまったく存じ上げない。
ネットで検索したところ、
・球場に来るとイライラして落ち着かなくなり、2006年はボール渡しに成功したのは2試合のみ
・2008年にR-1ぐらんぷりに出場、2回戦敗退
と、心がひりひりする情報がヒットする。
球団再編からあまり時間もたっておらず、オリックスが集客のためにあれこれチャレンジしていた時期だったのだろうか。活動終了年もよくわからず、「ゴウくん 現在」でサーチをかけようとも思ったが、悲しくなりそうなのでやめておく。
次のカードの記録に進もうと思う。
背番号00
1995年のベースボールマガジン社製カード。
端正な顔つきの、「ヤクルトのギータ」(実際にはこの愛称はついていなかったが)。お名前は聖人と書いて「しかと」と読む。
ヤクルトで2年、南海時代を含めたダイエーでのキャリアが計12年。個人的にも、ダイエー時代の姿のほうが記憶に残っている。
2016年の情報によると、福岡県内のスポーツ用品店に勤務されているとのこと。現在も続けてお勤めされているのだろうか。あるいは学生野球の指導などに関わられているのだろうか。いずれにしても、お元気にご活躍されていることを願う。
さて、この柳田選手のカードを手に取り、プロ入り後のキャリアもさることながら、宮崎県立延岡工業高等学校のご出身である点に反応してしまう。
同校は、2018年シーズン限りでオリックス・バファローズの監督を辞任した、福良淳一氏の出身校でもあるからだ。
最後は無作為に引き抜いたカードではなく、こちらを記録しておこう。
背番号78
2018年プロ野球チップスカード。
就任期間の3年間、ずっとBクラス。ファンから厳しいコメントを浴びせられることが多かった福良監督。結果がすべてのプロ野球。そんなもんだ、仕方ない、とわかっていても、私は監督のことは嫌いではなかった。
延岡工業高等学校 校門。遠くに映るのは、おそらく先述の柳田選手と福良監督の後輩であろう、野球部員。
これは2018年2月、私が春季キャンプ見学で宮崎県に行った際に立ち寄った時の写真だ。
「監督のことは嫌いではなかった」と書いたが、嫌いではないどころか、出身校を一目見たいと思うぐらいには好きだった。
もっとも、シーズン中に「福良が好き」なんて言おうものなら、他のオリックスファンから白い目でみられるような風潮があったように思う。
それでも私は、緑茶を飲む姿や、審判へのリクエスト時に描く四角形など、采配以外の部分でも試合を存分に楽しませてもらった。
退任の事実はやはり寂しく、10月5日の最終戦から日が経っていないこともあり、「福良ロス」状態である。
少しでも気持ちを前に向けるために、せめてこの場で感謝の意を記しておければと思う。
淳ちゃん、ありがとう。
お疲れ様でした。
来季からの西村オリックス・バファローズに期待しつつ。
記録はつづく
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