タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その14

だいぶ遅れ馳せながら、球春あけましておめでとうございます。

 

オープン戦もはじまっており、ここまで来たら公式戦開幕はすぐそこだ。

まだまだ山のようにある未記録の90年代の野球カードを繰りながら、きたるペナントレースへのはやる思いをやり過ごそうと思う。

 

 

阪神タイガース

背番号1985, 1994

トラッキー&ラッキー

f:id:shibata_pro:20190305110546j:plain

1995年 ベースボールマガジン社製チェックリストカード。 

現在と少しフォルムが違う、90年代中期のちょっと丸っこいトラッキー&ラッキー。

 

甲子園での試合前のマスコットパフォーマンスのコーナーで「もしもしカメよ」の替え歌に合わせてかわいらしく踊っていた時代のトラッキーだ。

歌詞はうろおぼえだが、「トラトラ人気で埋め尽くせ♪どうしてこんなに強いのか♪」という、阪神が強くて困るわ~」という内容の歌詞だったように記憶している。

実際は暗黒期真っただ中で、苦々しい思いでその歌を聴いていたファンも多かったかもしれない。

f:id:shibata_pro:20190305110649j:plain

裏面は当時の選手のチェックリストになっている。 

のちに大阪近鉄代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打をキメた、私が大好きな北川博敏氏(現・ヤクルトスワローズ二軍打撃コーチ)も名を連ねていたりと、時代を感じるラインナップだ。

 

このあとサラリと南牟礼豊三選手のカードなど記録できれば完璧な流れに仕上がるところだが、あいにく持ち合わせていないため、このカードにつなぎたい。

 

阪神タイガース

背番号8

久慈 照嘉

f:id:shibata_pro:20190307090850j:plain

f:id:shibata_pro:20190307090916j:plain

1992年ベースボールマガジン社製カード。

2019年3月現在、同チームの一軍コーチを務める久慈氏がルーキーイヤーのカードだ。

個人的には、同氏と関川浩一捕手の二選手がそろって中日ドラゴンズ大豊泰昭選手とトレードされた1998年のことが強く印象に残っている。

もっとも、このカードが発行された92年は、ヤクルトと熾烈なリーグ優勝争いをするほどであったが、先に書いた通り翌93年以降は暗黒期に突入して、阪神はあの手この手で補強を重ね、どうにかチーム状況を変えたかったのだろう。

 

久慈氏に話をもどすと、同時期のチームメートである新庄・亀山みたいな派手さはなかったけれど、カード裏面に「牛若丸」の記載があるように、小柄な身体で俊敏に守備をしている姿はとてもかっこよかった。

「牛若丸」のニックネームもさることながら、私が野球観戦から離れつつあった頃には「9時に久慈」という呼び名も浸透していたという話を知り、「牛若丸よりおもろいやんけ…」という謎のくやしさを噛みしめている次第だ。

半公式的な、ちょっと昭和臭を感じるニックネームがつけられることが多かったのも、90年代野球シーンの特徴かもしれない。(e.g.桧山進次郎選手=悠久の若虎)

 

 

読売ジャイアンツ

背番号36

長嶋 一茂

f:id:shibata_pro:20190305111229j:plain

f:id:shibata_pro:20190305111256j:plain

1993年ベースボールマガジン社製カード。

今やタレント以上、俳優としてのカオが定着しつつある一茂。

 

しかしそもそも一茂、巨人に在籍していたっけ?? というのが正直な感想だ

個人的には野村ヤクルトでシゴかれていたイメージが強い。それはおそらく、この当時、私が阪神および近鉄ファンで、関西球団の応援に集中していたから興味がなかったことも大きい。

もっと言ってしまうと当該の球団が憎悪の対象であったため、記憶から抹消されている可能性が高い。

私が東京に移住してきて、野球観戦を再開してからも、当時からの憎悪感は根強く残っていたのだが、今は、昔の思い出とともにいろんな試合を観戦する機会が増えたのであまり「打倒・巨人」とも思わなくなった。

単なる加齢で闘争心と憎悪心が衰えたのかもしれないし、ここ数年は広島カープの一強状態が続いているせいもある。

少し前まで当該のチームのチケット争奪戦がおこるような時代が来るなんて想像もつかなかったように、今は考えもつかないようなことが将来起こることもあるんだ、と考えるとちょっとワクワクしたりもする。

 

オリックスが常勝チームになって、毎試合超満員でチケット入手困難な京セラドーム、ほっともっと神戸の姿が見られる可能性もゼロではないのかもしれない。

いや、ないか。いや、あってくれ。私が生きているうちに一度ぐらいはあってもいいだろう。

 

長嶋一茂氏から話題が反れたが、やはり野球選手としての思い出と思い入れが個人的に少ないからこれも仕方がない。

なんにせよ、好きなことを明るく、たくさん記録できる2019年シーズンでありますように。

 

 

記録はつづく