オマリーに鶴 ~第一次外国人選手ブーム~
日本のプロ野球の記憶や記録を語るうえで、外国人選手は欠かせない存在だ。助っ人選手という言葉も、個人的には良い呼び方だと思っている。
阪神時代の新庄剛志をきっかけに、舐めるように観戦するスタイルを確立したのはこちらの通りであるが、90年代半ば、その剛志を卒業し、今度は外国人選手に注目しまくる「第一次外国人選手ブーム」が私の野球観戦人生に到来することとなる。
そのきっかけとなった選手や当時のあれこれについて、野球以外のことも交えながら記録したい。
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私が野球観戦を開始した80年代後半~90年代は、対戦カードに偏りはあったものの、テレビを点ければ野球の試合を観ることができた。
当時のテレビ放送は「地上波」「CS」など配信方法の区分がなく、「スポーツチャンネル」「映画チャンネル」などのすみわけもなかった。
ちょっとエエとこ(=金持ち)などの家ではBSが導入されていたりもしたけど、とにかくテレビさえあればどこかしらのチャンネルで、ほぼ毎日、野球中継が観られた時代が確かにあったのだ。
それと同様に、洋画も多く放送されていたように思う。
毎週決まった曜日に「〇〇洋画劇場」枠として放送されていたほか、深夜や昼下がりの放送でもいろんな旧作を観た記憶がある。
定番の「インディ・ジョーンズ」や背伸びして観た「卒業」なんかで、ハリソン・フォードやダスティン・ホフマンが好きになり、月刊映画雑誌の「スターに手紙を書いてみよう!」のコーナーで得た知識と、中学校で習いたての英語を駆使し、エアメールでファンレターを送ったりした。
野球からずいぶんと話が逸れたが、野球観戦の趣味と並行して、洋画鑑賞に費やす時間と、欧米への憧れが増しながら、私の思春期は始まった。
多感で影響を受けやすい時期ということもあり、男性の見た目の好みが外国人、とりわけコーカサス系へとスイッチしていき、それは野球観戦においても影響をおよぼし始める。
「舐めるように観る」対象が、細身のアイドル新庄剛志から、ガッシリとしたスター外国人選手へと変わっていったのだ。
舐めるように観た外国人選手 第一号はこのひと。
(大好きだったわりにポスターなどが残っていないため、こちらからお借りする)
背番号3
愛称はトム。
金髪をのぞかせヘルメットを浅くかぶり(頭部サイズの関係で深くかぶれなかった説もある)、ガムを噛みながら打席に立つ姿は、私にとって映画以外でみることのできる「アメリカ人男性」の象徴となった。
1塁での大開脚キャッチ・スタイルもかっこよかったし、なにより高い打撃力がスター然としていて、大好きだった。
実家から引き揚げてきたスクラップブック中にあった1995年のトムの記事。
多くのプロ野球選手の私服姿がたびたび悪い意味で世を騒がせてきたのに対し、このシンプルなポロシャツ姿でさらにトム好きが加速した。
記事全体。同年のパ・リーグMVPはオリックス時代のイチローが獲得していた。
トムのサイン色紙。オマリー好き好きと言い続けていたら、友達がもらってきてくれた。
ヤクルトで活躍する前、トムは阪神の頼れる助っ人だった。ヒーローインタビューでの「阪神タイガースファンは、イチバン Yaaaa!」のフレーズや、オマリーの六甲おろしなんかはこれからも語り継がれるのではなかろうか。
阪神にいた頃も、トムは好きな選手の一人ではあったが、それでも私にとっては剛志一番だったためほぼノーマークだった。洋画の影響による外国人フィーバーを迎えたのが、ヤクルトへの移籍後だったため、私は猛烈に悔やんだ。
「なんでトムが関西におるうちに応援しとかんかったんや・・・東京、遠いわ・・・」
歴史は繰り返されるわけで、生・トムに会えないもどかしさを思春期特有の妄想で発散しはじめるだけでなく、ここでハリウッドスターにファンレターを送ってきた経験が(悪い方向に)活きることとなる。
ヤクルト球団事務所 トーマス・オマリー選手宛で、お手紙を送る決心をした私。
文面は当たりさわりのない「大好きです、応援してます!」的な内容だったと思うが、それよりもはっきり覚えているのが「プレゼント・フォー・ユー」と折鶴を同封したことだ。
当時の私としてはどうにかしてトムの印象に残りたい一心で、日本人の女子中学生からのファンレターに折鶴が入っていたら、トム的にも、なんてかわいいんだ!返事書かなきゃ!って流れになるんジャン・・・と信じて疑わなかった。
まあ結論としては返事が来ることもなく、1996年を最後にトムは日本球界から姿を消していた。
中学生から届いた、和柄の、ちょっとクタっとしたキモめの鶴のせいで日本に嫌気がさしたのが原因のひとつでなければいいのだが。
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20余年の時を経た2016年、かつてトムが活躍した神宮球場でのヤクルトvs阪神戦後、球団バスに乗った、阪神コーチ時代の彼とすれ違った。
トム、あの時の鶴・・・どうした?
心の中で問いかけているうちに、バスは遠くへ走り去った。
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思春期特有の思い込みがもたらす一途さと、正しいと思い込んでやまない謎行動、そしてあとから襲ってくる自己嫌悪。
私にとってプロ野球にまつわる思い出は、必ずしもキラキラしたものばかりではないのだ。
外国人ブームはこの後、第二次、第三次を経て、2017年6月現在、第四次期を迎えている最中だ。(四次までくると、次数を数えるより普通に「常に好き」というべきだろう)
歳を重ねても、変わらない、変われないものがある。
記録はつづく