タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その18

90年代のプロ野球カードの記録、18回目。

今回は、現・北海道日本ハムファイターズが北海道に本拠地を移す前のカードを記録したい。

 

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日本ハムファイターズ

背番号 1

広瀬 哲郎

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1992年製ベースボールマガジン社製カード。ご本人のサイン入り。このカードを譲ってくれた知人が藤井寺球場か、日生球場でもらったものだろう。裏面のキャラクター「ファイトくん」も懐かしくてかわいい。 

個人的には、このカードの次の世代、白地にストライプのユニフォームでプレーする広瀬氏の姿が印象に残っているのだが、それでもうっすらと記憶に残る、この赤オレンジ色のユニフォームで連想するのはガラガラのパ・リーグ球場と、日曜日の昼下がり、観ているのか、観ていないのかわからないまま点けっぱなしにされた野球中継と、分厚いブラウン管テレビ。

懐かしい昭和後期~平成初期の家庭の風景であるが、今の札幌ドームはじめとする各球場の集客状況をみるにつけ、球団や選手によるファン増加のため続けられてきた企業努力は、想像を超えたものがあるのだろうな、と感服する限りだ。 

 

さて、そろそろ広瀬氏本人の話をしよう。

まじめ、ガッツ、スキンヘッドに眼鏡。

インパクトの強い選手であったが、プレースタイル以外の姿も印象的だった。 

1990年代、毎年お正月に民放局で放送されていた、プロ野球チーム対抗クイズ番組(記憶が正しければ "プロ野球夢のオールスタークイズ日本一" という名前)があり、12球団各チーム3、4名選手が出演して勝ち抜いていくという内容だった。

ある年の放送回、ファイターズからは広瀬氏と、新人だった片岡篤史氏に加えてあと1~2選手が出演していた。広瀬氏はじめ他選手は皆スーツ、ブレザースタイルだったのに対し、片岡氏だけジーパンにスエットというカジュアルな出で立ちに、広瀬氏が真剣にキレたのだ。

「こんな格好で来る奴いるかよ?」と怒る広瀬氏の姿に、テレビの前で私の家族全員がゲラゲラ笑ったのを覚えている。 

オフシーズンでも生真面目な一面を見せた広瀬氏。現役引退後は、解説、タレント、歌手などを兼ねて、現在は民間の体育指導企業にて、かわらぬスキンヘッド&メガネスタイルで野球コーチをされているようだ。

大人でも指導してくれるんだろうか…一度、お会いしたいOB選手のひとりである。

 

余談中の余談だが、怒られていたジーパン姿の片岡氏はパトリック・スウェイジぽくてかっこよかった。

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(ネット上ではこれしかヒットしないけど…)

 

 

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日本ハムファイターズ

背番号 30

金子 誠

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さきほどの広瀬氏のカードから2年後の1994年に発売された、ベースボールマガジン社製カード。金子誠氏のルーキーイヤーにあたる。イケメン

私は同時期に阪神タイガースに在籍していた金子誠一氏といつも混同していた。まあそんな話はさておき、ひとつ前の広瀬氏のカードから2年違うだけで、ユニフォームも、裏面に描かれた球団ペットマークも、またカードのデザインも、いろいろと新しくなっているな、という印象を受ける。

ちなみに裏面の甲冑姿のペットマークだが、球団に問い合わせたところ、正式には名前が付けれておらず、「仮面の男」と呼ばれることが多かったと情報をいただいた。(日本ハムファイターズ お客様窓口の方、ありがとうございました)

相変わらず選手ご本人の話から逸れてしまった。ルーキーイヤーのカード裏面には前述の広瀬氏が定着しているため、ポジション争いは厳しいものとなる旨が記載されているが、後年このコメントを覆す活躍を見せた。時代が時代なら、守備で「熱盛の常連」になっていたことだろう。

そんな金子氏、2019年現在は北海道日本ハムファイターズの一軍打撃チーフ兼作戦コーチを務めている。まだまだ若いし、変わらず端正な姿を中継中のダグアウトで見かけることが多いが、日ハムのコーチ陣って若くてイケメンが多いのは気のせいだろうか。

 

 

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日本ハムファイターズ

背番号 100

ファイティー 

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1995年ベースボールマガジン社製カード。裏面は同年に在籍の選手チェックリストになっている。

西崎幸広ロブ・デューシー、今関勝など、ああーーいたなーーーと、90年代のプロ野球ファンが思わず声を漏らすラインナップだ。 

1993年から2005年途中まで球団マスコットとして活躍したファイティー翼竜という設定のようだ。2014年の復刻イベントでも登場していた、ピンク色がかわいいマスコットだった。

このファイティーが引退した後、同チームのマスコットはB・Bを経て、今はフレップがメインで活躍している。わけてもB・Bはブログで「マスコットにも人権を!」と呼びかけるなど、これまでのスポーツチームのマスコット活動の幅や観客の意識改革に取り組んだ存在だったと認識している。このカードが発売されてから約25年。マスコット活動の観点からみても、野球界は「いい方」に変わっているのだろうか。

変わっているといいな。

 

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さて当記事執筆中の2019年6月24日、オールスターゲームの出場選手が発表されたばかりだ。わくわくすると同時に、後半戦の足音が聞こえてきて、ちょっと哀愁を感じる。

まだまだ分からない今シーズンの行方、残り半分も楽しんで観戦できることを願うのみだ。

 

オリックスもヤクルトも、後半戦、たのんまっせ…!

 

 

記録は続く