タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その25

暦の上では、2019年が終わるらしい。

プロ野球観戦が生活の大半を占めるようになり、また春季キャンプに出向くようになってからは一層、「新年は2月1日から」という区切りが体内に根付いてしまっている。

それでも一応、暦通りに今年を〆るエントリとして、2019年に出会うことができた、近鉄にまつわる野球人のカードを記録したいと思う。 

 

近鉄バファロー

背番号21

吉井 理人

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ベースボールマガジン社 1995年製カード。

カード上のサインは2019年、千葉ロッテマリーンズ 鴨川秋季キャンプでいただいたものだ。

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1984年、近鉄入団。このカードがリリースされた1995年にトレードでヤクルトスワローズに移籍した。藤井寺球場のマウンドでも拝見したことはあったが、スワローズ~メジャーで活躍されたほうが世代的によりはっきりと記憶に残っている。

2019年からは千葉ロッテマリーンズの一軍投手コーチとして就任され、来季も続投が決まっている。上記のエントリにも記したとおり、ロッテファンからの支持を得ていることを垣間見て、信頼されるコーチがチームにいることがとてもうらやましく思う。

ロッテはシーズン中、何度かチーム全員がそれぞれニックネームが入ったユニフォームで公式戦を行っていて、吉井コーチは「OIYAN」と書かれたユニフォームに袖を通されていた。「おいやん」とは、ご出身地である和歌山県および関西方面で「おじさん」を親しみをこめて呼ぶ際に使用されることばであるが、最高にキュートだった。

私はバファローズファンなので、ロッテは対戦相手になるわけだが、今後も密かに吉井コーチファンを続けることになりそうだ。

 

 

近鉄バファロー

背番号16

ラルフ・ブライアント 

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ベースボールマガジン社 1992年製カード。

(数少ない)テレビ中継や、藤井寺球場でブライアント選手を拝見していたのは、主に小学生時代だったが、こどもでもわかる、抜群のバッティングセンスと、ルックスのかっこよさを感じていた。

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そして自分が大人になった2019年、間近で拝見する機会に恵まれたわけだが、正直今でも実感がわかないぐらい嬉しい出来事だった。

夏以降もちょくちょく再来日してイベントなどに参加されており、またSNSアカウントを開設するなど、主に日本のファンに向けたアクティビティを積極的に行われているようだ。

プロ野球選手、わけても外国人選手は、近況を知りたくてもネットサーチでヒットしなかったり、とかくファンにとっては行方不明状態になりやすいのだが、ブライアント氏のように露出を増やしてくれるのはありがたい限りだ。

 

 

近鉄バファロー

背番号2

栗橋 茂

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ベースボールマガジン社 2011年製レジェンドカード。

やはりこの時代の近鉄のユニフォームはかっこいい。現役時代の栗橋氏の体躯にぴったりマッチしていないだろうか。

最近も金村義明氏のラジオに出演されるなど、関西方面はじめ、全国のパ・リーガーから注目され続ける人物である。

shibata-pro.hatenablog.com

世代的には、私が自分の意思で野球を観戦し、藤井寺球場に通う以前の選手であるが、各メディアで語り継がれる「栗橋伝説」に興味を持ち、2019年京セラドームでの近鉄復刻試合の日に、同氏が経営されるスナックに足を運ぶこととなった。

上記のエントリ以降も、大阪に用事がある際に何度かお店におじゃまするようになった。おもしろおかしく語られる伝説以外にも、今の野球の話を伺ったり、それ以外の他愛ない「スナック・トーク」をしたりと、楽しませていただいた。

昭和でも平成でもなく、令和という新元号になり、チームも球場もなくなった藤井寺という土地に、また足を運ぶことになるとは、我ながら予想外の出来事だった。

自分の行動や、自分をとりまく出来事に「これは必然だ…!」などといちいちドラマティックに熱を帯びるタイプの人間ではないのだが、それでもこどもの頃に足を運んで、試合展開に一喜一憂した場所(終盤はタフィを目で追ってばかりいたけれど)で、そのチームの一時代を担った元選手に会って話ができるというのは、野球ファンにとっては夢のようなことだと思う。

・・・

来日したばかりの、三色の近鉄ユニフォームを着たタフィに魅了されて藤井寺球場に通っていた、14歳だった頃の自分に教えてやりたい。

「あんた、大人になって、東京に住むようになってもバファローズを応援して、球場もないのにまた藤井寺に行くことになってるで」

と。

必然!っていうか、まあ、人生ってそんなものなのかも。

いずれにしても、自分が幸せな野球ファンであることを忘れずにいたい。

 

 

球春到来まで指折り数えて過ごすとしよう。

 

 

記録はつづく