プロ野球カード記録 その27
2020年春。
コロナ、コロナでプロ野球をはじめ、さまざまなスポーツや娯楽が例年どおり楽しめない状況が続いており、ストレスがたまってきた。
春季キャンプ途中からのファンサービス制限にはじまり、無観客開催のオープン戦もすでに終盤にさしかかりつつある。
無観客のため、球音や選手の声出しなど、普段ではわかりづらい様々な球場音を実感できる一面があったり、球団がSNSで募集したファンの応援歌を球場で流したりなど、明るい話題がゼロでないことが救いだ。
球場音といえば、ホームランやファウルなど、無人のスタンドに着弾する時の「ガコン!!」という音。昔、ガラガラの藤井寺球場でも同じ音をきいたな…と、どこか懐かしく感じてしまうのは私だけだろうか。
今回は、そんな昔の藤井寺で配布されたカードを記録しようと思う。
背番号 27
古久保 健二
1995年、入場時に配布されたラッキーカード。
当時球場によく連れて行ってくれた同い年の友達が、この古久保捕手の大ファンだった。半分へたったような金網だけで隔たれた藤井寺のブルペンの前で、その子が古久保氏に声援を送るのに付き合った記憶がある。だいぶ渋好みというか、言葉を選ばずに言ってしまうと「オッサンやん…」と思いながら一緒にスタンドをうろついたものだが、今このカードをみると、純粋にかっこいいなと感じるのは、なつかしさからだろうか、それとも自分が歳を重ねたからだろうか。ちなみにこの時の古久保捕手は31歳で私が14歳。そして今の私が38歳、そりゃまあ、感じ方に変化もあろう。
1983年近鉄入団。このカードの時にはすでにベテラン枠だったが、その後も同球団でマスクをかぶり続け2002年に現役引退した。その後各球団でコーチを務められていたが、私がバファローズ応援を再開した2017年から2年間は楽天イーグルスに在籍されており、球場でお目にかかることも多く、うれしかった。
現在は台湾プロ野球チーム・富邦ガーディアンズの捕手コーチとしてご活躍中だ。
海外のチームのホームページでお姿を拝見すると、3割増しでうれしくなってしまう。コーチとして、より一層のご活躍を期待している。
(余談だがガーディアンズには元日本ハムのデューシー選手もコーチとして在籍されている)
背番号 00
大島 公一
こちらも1995年の球場配布カード。
1993年近鉄入団、このカードが配布された翌96年にオリックス・ブルーウェーブにトレードされた。個人的には近鉄時代より、移籍後の活躍のほうが記憶に残っている。
96年といえば、近鉄にタフィ・ローズが入団した年で、私がより主体的に藤井寺に通うようになっていたため、ブルーウェーブの大島選手を同球場で観る機会も多かったように思う。俊敏な走塁と守備が印象的だったが、プレーそのもの以上に記憶に残ることがある。
酔っ払ってベロベロになった近鉄ファンのオッサンが、小柄な大島選手をからかって「そこの子!!リトルリーグは入ってきたらアカン!!こどもは危ないから!!」という、今では絶対にアウトな内容のヤジを飛ばしていたことだ。その酔っ払いの連れ別のオッサンが「あれ去年まで近鉄におった大島やで!」といさめると「ええ?あの大島か、大島ごめん!!」と謝ってもいたが。これも今はなき、藤井寺ならではの光景なのだろう。
オリックス・ブルーウェーブには2004年まで在籍、翌05年に分配ドラフトで入団した楽天イーグルスで現役を引退された。現在は野球解説を務められながら、イートファクトリーベースボールクラブ・満マルビリケンズの監督をされている。
かつて失礼なヤジを浴びせられた大島氏、今後もながく野球界で活躍されますよう。
・・・
コロナ、コロナで公式戦開幕延期。
当初予定されていた復刻イベント、KANSAI CLASSICは無事開催されるのだろうか。今年も近鉄ユニフォームを見らることを楽しみにしているし、その頃には大きな声で復刻応援歌を歌えるようになっていればいいな…と切に願う。
今できることは、手洗い、うがいをはじめとした感染予防を徹底することのみ。
…まあ「感染」とタイプしようとしたら、まっさきに「観戦」と出てくるぐらい野球観戦が生活に根差しているわけだけど。
どんな状況でも明るい一面に目を向けて、また教訓を得ながら、楽しい季節を待つしかない。
記録はつづく