タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

堺でホークス戦をふたたび 南海ホークスゆかりの地訪問の記録

去る2020年3月29日。万事通常通りであれば、大阪は堺市に新しく開場するくら寿司スタジアム堺にて、オリックス・バファローズソフトバンクホークス ファーム試合を観戦する予定でいた。

私自身はバファローズファンであるが、父親が南海ファンであることと、またその昔、南海時代のホークスが堺市に関連施設を構えていたこともあり、「堺でホークス戦が観られる」ことは、かなりアツい機会ではないか…と思い、迷わず観戦申し込みをした。

事前申し込み制で3000人無料招待のこの試合。まあそこまで応募も多くないだろう…と無根拠にタカをくくっていたのだが、 

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予想を上回る申し込みがあったようで、抽選に外れてしまった。

結局、新型コロナウイルスのあれこれで残念ながら試合は流れてしまったわけだが、もしかしたら同市や近隣在住の南海時代からのホークスファンの申し込みが多かったのでは…と、昭和の関西パ・リーグ好きとして勝手に想像をめぐらせてしまった。

この新スタジアムの話題にかこつけて、以前からちょこちょこ訪れてきた、南海ホークスゆかりの場所について記録しておこうと思う。

 

中百舌鳥の球場跡地

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まずは今回のブログに登場する場所の位置関係をまとめておく。

 

1939年、堺市中百舌鳥町(なかもずちょう)に、ホークスの親会社・南海鉄道が建設した総合運動場の一環として野球場が完成した。はじめは一軍の試合もそこで開催されていたが、立地が悪いため、次第に甲子園や西宮球場での試合開催がメインとなっていったようだ。

1950年の大阪球場開場~ホークスの福岡移転まで、中百舌鳥は二軍本拠地となり、2001年に閉鎖された。

最近の出版物では、週刊ベースボールマガジン 2019年7月別冊で、江本孟紀氏が「中百舌鳥ってどこだよ、と思った」と語っているように、南大阪に詳しくない限り、馴染みのないその場所。「秀鷹寮」という選手寮もグラウンドの近くにあり、それについても江本氏が懐かしく語っているのを読んで、跡地に興味が湧いてきた。

野球場も寮も、今はマンションに建て替わっているようだが、実はホークス関連の「あるもの」がこの地に遺っている、という情報とともに、南海高野線 白鷺駅に降り立った。

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マンションの入口わきに、運動場の説明が書かれたプレートがある。

そしてこれ以外にも、

 

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電信柱には、しっかりと「ホークス」「ナンカイ」の文字が遺る電柱管理番号を発見できた。

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「南海」表記バージョンもある。

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ここに南海ホークスの施設があったことの証だ。

プレートと電柱以外にも、自分が見過ごした南海関連の物があるかもしれないが、この時に確認できたものは以上のとおりだ。

これまで意識することはなかったが、野球選手が汗を流し、切磋琢磨した場所が、自分の出身地の近くに存在したのを再発見できたことに、小さなよろこびを感じつつ白鷺駅をあとにした。

 

 

南海電車南海ホークスの選手に出会った思い出

次に記録しておきたい南海沿線の場所は、大阪府高石市 南海高師浜線 伽羅橋駅高師浜駅周辺だ。

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画像は伽羅橋駅前。昭和の風情がのこる。

南海時代からのホークスファンである私の父は、この辺りで幼少~青年期を過ごし、電車で大阪球場に通勤するホークスの選手と駅や車内でよく一緒になった、という思い出話を聞かせてくれた。

なんでも、周辺には、前述の秀鷹寮とは別に、アッパークラスの選手が暮らす寮があり、また複数の選手が個人宅を構えていたらしい。

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(画像は南海の選手とは無関係だが)このあたりが海岸別荘地だった頃からの大きな邸宅が今も複数残る。当時の選手にとっても、このエリアに住むのは一種のステータスだったのかもしれない。

1950年頃に、蔭山和夫氏(南海在籍は1950~59年)森下整鎮氏(52~66年)、筒井敬三氏(46~55年)、飯田徳治氏(47~56年)、別所毅彦氏(42~43、46~48年)といった、ホークスの歴史本に必ず登場する名選手とよく出くわし、1960年代に入ると、村上雅則氏(1963、66~74年)、林俊宏氏(1963~70、72~78年)といった当時の若手選手たちが電車に乗る姿をよく見かけたとのことだ。

前述の「アッパークラスの選手寮」については、思いつく限りのホークス関連書籍を読み漁ってもそれらしい記録が残っておらず、いかんせん60余年前の話なので、父の記憶違いという可能性もある。

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それでも、自分が応援する南海の選手と一緒に南海電車に乗った父の経験は、大阪にホークスがいた時代における、野球が好きな庶民の、ささやかだけど誇らしい1モーメントだったに違いない。

中百舌鳥の跡地でも感じたことだが、自分や、父が生まれ育った地域が、かつてプロ野球と密接に関わっていたことを知り、感慨深くなる。

 

 

大阪球場跡地へ

高石市堺市南海電車で北上し、なんば駅前の大阪球場跡地に向かう。現在はショッピングモール・なんばパークスとなっている。

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ホームプレートとマウンドがあった場所に、記念プレートが設置されており、またモールの上階には、ホークスメモリアルギャラリーもある。

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これまでも何度か見学したことはあったが、父が昔電車で出くわした選手たちの話とともに再訪すると、より興味が深まる。

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特に、蔭山氏については、監督就任決定直後に急死されていたことを知り、驚いた。どれほどの心労があったのだろうか。気の毒に思う。

 

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ドラフトがない時代、入団チーム決定に際して世間を騒がせた穴吹氏。父の思い出話には登場しなかったが、私の実家の最寄り駅からほど近い邸宅に住んでおられたそうだ。

ホークスがご近所さんだったという、不思議な感覚。

 

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球場使用の歴史も興味深い。

野球場として使用されなくなった後、住宅展示場になった話はあまりにも有名だが、球場現役時代も、こうして中古車セール会場として使用されていたのは知らなかった。どれだけのユーティリティ球場だったのか…

 

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屋外スペースには、こうした手形展示があったりと、ホークスや昭和パ・リーグが好きな方におすすめの場所である。

球団と「絶縁をした」せいで、野村克也氏に関する記録や展示が一切されていない点がひっかかるけれど、「展示がないこと」自体が、球団や選手の歴史を語りえるのではないかと個人的に感じたりもする。

ここを訪れた、南海時代の野村氏を知り得ない野球ファンが、なぜこのメモリアルギャラリーにノムさんの情報がないのか、と疑問を持ち、調べることから得られるものも多いはずだ。

光の部分も、陰の部分も、昭和の関西パ・リーグは私を惹きつけてやまない。

 

・・・

 

以上が、南海ホークスゆかりの地訪問の記録だ。

これまでなかなか意識することがなかったけれど、南海ホークスが自分の出身地と深く関わっていたことを再発見できて、野球好きとして純粋にうれしくなった。

また父がホークスファンになり、ずっと応援を続ける理由も垣間見れた。野球選手がすぐ近くにいて、球場にもすぐ行けた…チームの根強いファンになるには十分な環境だったのだろう。

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南海線各駅のキオスクにのこるタカのキャラクターもホークスの名残りだ

今回取り上げた場所以外にも、ゆかりの場所やお店などはまだまだあるようなので、件のウイルスによる外出制限が解除されたら、ぜひ訪問してみたい。

そして、新しくできたくら寿司スタジアム堺で、バファローズ対ホークスのカードを今度こそ観戦できる日が、一日も早く来ることを願う。

 

記録はつづく

 

 

Special Thanks to  @watertowerUC

中百舌鳥運動場跡地周辺の電柱管理番号の情報をいただきありがとうございました。