タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その32

入場者数制限と行動制限を設けての有観客試合開始から約2週間経った。

声援も送れない、応援歌も歌えない状況で盛り上がるのだろうか?と、当初は低めのテンションで構えていた。

しかし迎えた7月10日、有観客試合初日の中継で、現地のファンが拍手するだけでもこんなに雰囲気が違うものか、と感動を覚えた。

画面越しに、観客が球場にいるのを観るだけで、選手ではない、いちファンの自分ですらうれしくなれた。ファンにとってもファンがいることの重要さというものを初めて実感できた。

 

プロ野球の試合催行に関して、前向きな話題が増えてきたのと同時に、ある人物の足音が聞こえてきた。

insight.official-pacificleague.com

6月になんの前触れもなく、クロマティ氏のyoutubeチャンネルに登場して衝撃を受けたが、それに次いでのメディア出演だ。

「ある人物の足音が聞こえてきた」などと気取って前述したが、率直に書くと「なんかめっちゃ露出しはじめてるやん。もしかしてマジで日本球界復帰の準備を進めてるんかな??」といったところだ。

露出が増えるのは、ファンとして嬉しいことだ。インタビュー中「日本でコーチをしたい」と発言もしていて、それはもうぜひとも再来日してNPBのチームで同職に就いてほしいし、もっと言うと、タフィが昔プレーしていたチームであり、私が応援しているオリックス・バファローズの一員として再度在籍してほしいと切に願うのみだ。

 

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2001年、大阪ドームで配布されたカード。

タフィの近鉄入団は1996年。藤井寺球場での旧ユニフォーム姿をみてファンになったが、このカードのユニフォーム姿で、水色基調の大阪ドームでバカスカ打って優勝に貢献したのが彼のキャリアの象徴と言えるだろう。

知る人ぞ知るバイク通勤で、当時高校生だった私は、試合後にドーム1Fの選手車両入口で出待ちして、他のファンとワーキャー言いながらバイクを追いかけた。タフィは一旦停車して、関西弁で「あぶないわ!」と笑いながら声をかけてくれて、それからまた走り去って行った。

20年以上も前の話なのに、今でもはっきりと思い出せる。というか忘れることができようか?

 

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時を経た、2009年のベースボールマガジン社製カード。

タフィが巨人に移籍したり、近鉄球団消滅があったりと、まったく野球を観なくなっていた2000年代後半。

この頃も野球観戦しておけばよかったなあ、とまったく思わないわけでもないけれど、ブランク期間があったからこそ、今現在、観られるものを観られるうちに楽しもうというモチベーションを保てているのかもしれない。

 

思い返すと、私の野球観戦人生には、これといって強い信念があるわけでもなく、ただ「なんかおもしろそう」という予感と直感に従い続けた結果の「今」があるんだという気がする。

2015年、長らく野球観戦から離れた私を球場へと引き戻してくれたのも、「いっちょ富山に行ってくるか~」と思い立って再会したタフィだった。

shibata-pro.hatenablog.com

翌年、突然行方不明になったことは予想外だったけれど、今後も「なんかおもしろそう」「なんかあるかも」という予感と直感は大事にしていきたいし、そんな予感も直感も「大当たり」であってほしい。

 

近い将来、タフィがコーチとして戻ってくることになったら、うれションしすぎてションも枯れる事態になるだろう。

ただ一つ、真面目に懸念事項を挙げるとすると、このブログ名「タフィ・ローズを捜しています」をなにに変えようか、ということだ。

 

なんにしても、最愛の野球選手・タフィが2020年に「行方不明の元助っ人」でなくなったことを祝福したい。

 

 

記録はつづく