タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その38

2021年4月下旬。

1年経ってもニュースは連日コロナ感染者数にまん延防止、緊急事態宣言再発出か、といった話題ばかり。月並みすぎる言葉だが、気持ちが滅入ってしまう。

それでもそんな中、一度はチームを離れたステフェン・ロメロ選手がようやく来日~隔離期間終了し、二軍での調整を開始したという、ロメロファンとして最高に明るいニュースが入ってきた。

ロメロ選手再加入については、一軍合流後、ホームランを打って勝利する時にでもゆっくりと記事としてしたためるとして、本日のエントリでは、福岡ダイエーホークスの野球カードを記録したい。

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福岡ダイエーホークス

背番号55

大道 典良

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1996年、球団公式ファンクラブの特典カード。福岡ドーム(現PayPayドーム)の入場時に会員に向けて配布されたのだろうか。

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破れてしまっているけど、外袋も保管していた。

wordアート然とした立体フォントが90年代っぽさを表している。

大道選手本人に話を戻す。

90年代の野球ファンにとってはおなじみのダイエー戦士、といったイメージが強い。ダイエーに譲渡される前、1987年の南海ホークス最後のドラフト4位で入団。ちなみに同期入団には吉田豊彦投手、吉永幸一郎捕手、柳田聖人選手など。いずれも後年ホークスを支えることになる選手陣だ。

1989年、ダイエーホークスの選手としてプロ初出場。親会社やホーム球場など諸々ガラリと変革を迎えたチームでのプレー、どんな心境だっただろうか。90年代、対近鉄戦で大道選手の打席が回ってくると、大柄で、いかにも打ちそうな、ヤな感じの選手だなーと思いながら観戦していたのを覚えているし、その記憶の通り、2000年代初頭までコンスタントに活躍した、「ダイエーの顔」というべき選手だったように思う。

1998年には前述の同期入団選手らとともにスパイ疑惑がかけられたこともあった。時系列が前後するが、このカードが配布された1996年にはかの「生卵事件」が勃発するなど、90年代の野球シーン、ダイエーがらみの事件が色々あったなあ…

2007年に無償トレードで巨人へ移籍後、2010年に現役引退。大道選手の引退が、南海ホークス時代に入団した野球選手がすべて引退したことになった。南海時代からのホークスファンである私の父が、やたらと大道、大道と言っていた理由はこれだったのか、と今になって納得している次第だ。

2021年現在は、福岡ソフトバンクホークスの二軍打撃コーチを務められている。永く、強いホークスを下支えする存在として活躍してほしい。強いホークス、というか強すぎるホークスといった方が正しいか。

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カード裏面、右下に「一 二 三」の筆文字が見える。

これは1996年のダイエーホークスのスローガン、「一 二 三 いかせます。」の一部である。Aクラス、1位、2位、3位狙っていきましょうかというような意気込みなのだろうか。さきほどちらっと書いた「生卵事件」にもつながるのだが、この年のホークスは最下位だった。ファンが生卵を投げつけるぐらい、弱かった。(暴力行為を肯定しているわけでなない)

ここで思うことは、プロ野球なんてものは20年以上のスパンで観戦して初めて「強い時期」を経験できるのではないか、ということ。

平成後期~令和の今まで超常勝軍団の名を欲しいままにしているホークスにだって、ファンがフラストレーションを爆発させるぐらい勝てない時代があったのだ。オリックス・バファローズも長い目で応援しようという気になれるというものだ。

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福岡ダイエーホークス

背番号 56

福田 信一

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 同じく、96年製、ルーキー福田投手のファンクラブカード。

1995年ドラフト6位で入団。しかし、一軍登板の機会が一度もないまま、1998年に引退をされた投手である。引退後の人生、なにをされているのだろうか。

花形の、大スター選手の野球カードばかりを記録するのが、当ブログの目的ではない。野球カードには、写真撮影され、印刷され、配布され、時を経ていち野球ファンの手元に残る、いち野球選手の記録そのものである。

タンスの肥やしにしたまま、たとえば私が辞世すれば、そのまま打ち捨てられるであろうカードを、こうしてネット上に残すだけでも意義があると思っている。もしかしたら「残さないでくれ」と思う元選手もいるかもしれないけれど。

 

 

記録はつづく