タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その17

2019年5月も、もう終わり。

今年はまだまだ始まったばかり、と言っていたらもう間もなくセ・パ交流戦開始、オールスター投票が話題にのぼる時期となり「まだまだ始まったばかり」とも言っていられなくなってきた。 

特にニュース番組のスポーツコーナー。その日の試合結果のあとに表示される、リーグ順位表には、もうモザイクをかけてくれ!と思ってしまうような状況が続いている。

 

泣き言まじりの時候のあいさつもそこそこに、プロ野球カードの記録を進めたい。

 

阪神タイガース

背番号42

ジェームズ・パチョレック

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1992年ベースボールマガジン社製カード。

通称パッキー。無理やり「パチョやん」と呼ぶ少数派もいた気がする(私ひとりだけの可能性が高い)。横浜大洋ホエールズから阪神に移籍してきた年のカードだ。 

野球カード以外にも、ブロマイドがあるのでそちらも記録しておきたい。

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1990年初頭、特に阪神のような人気球団の試合が行われる球場周辺には、ワンタイムの選手グッズ屋台や出店が並んでいた。

球団公式のグッズショップもあったが、今のように球場内部に大型店舗を構えて豊富な品揃えで営業していたわけではなく、ワゴン数台でメガホンや下敷きなど、限られた種類のグッズが販売されている程度ではなかっただろうか。 

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野球に関係ないものも多数写っているが、右上の黄色いメガホンが当時非公式ショップで買った非公式タイガースグッズだ。

 このミニメガホンのように、"黄色いものに虎のシールを貼ったなにか”を「阪神グッズ」として堂々と売っていた非公式グッズショップも多く、このパチョレックのような「ブロマイド」「生写真」と呼ばれたプリント写真も多くみられた。店によって価格はまちまちだが、一枚150円が相場だったように記憶している。そもそも「生写真」という単語自体も懐かしい、平成初期の球場周辺の風景だ。

 

パチョレックご本人に話を戻す。

彼は、当時の阪神で実力を兼ね揃えた「かっこいい助っ人」枠の選手だったように思う。しかしこちらでも書いたように私はオマリー派だったこともあり、恥ずかしながらパチョレックのかっこよさを的確に文章にする力量がないため、こちらのコラムをお借りしたい。

bunshun.jp

80年代後半~90年代初頭の野球好き少女にとって、外国人選手が特別な存在になりえるということに共感しっぱなしの、大好きなコラムだ。

パチョレックの近況は不明であるが、息子のジョーイ・パチョレックも2014年までMLBでプレーをしていたようだ。父親の面影に心が騒いでしまう。

パチョやん、ベイスターズの記念イベントなどで、ぜひまた再来日してほしい。

  

 

阪神タイガース

背番号20

郭李建夫

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1994年ベースボールマガジン社製カード。

「中込に湯舟をちょっと足して割った感じの投手だな…いや、パっと見、中込と区別できへん」とよく思っていたが、シーズン中、タイガースを特集するテレビ番組で郭李にカメラが回ると、いつもニコっとしてピースをする、優しい選手といったイメージが強かった。

2017年にはBFAアジア選手権 台湾チーム監督を務められており、wiki情報が正しければ、現在は大学野球の指導者をされていて、2018年に阪神に入団した呂彦青選手は教え子にあたる。そのあたりのエピソードを読んでみても、やっぱりいい人…という感想を持ってしまう。 

 

パチョレック、郭李、と来れば、あとはもうこの人しかいないだろう。

 

ヤクルトスワローズ

背番号3

トーマス・オマリー  

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1992年、悩ましい阪神の外国人一軍登録枠を、パチョレック、郭李、オマリーの頭文字をとって阪神PKO問題」と呼んでいた。

それに絡めて、今回最後のカードも阪神時代のオマリーできれいにまとめたかったが、あいにく手持ちがない。当ブログのクオリティはそんなものである。

1996年ベースボールマガジン社製 ダイヤモンドヒーローシリーズという、一袋にキラカードが3枚程度入った特別なパックだったと記憶している。同じ袋にはダイエー藤本博史ブルーウェーブ田口壮が入っていたことをはっきりと覚えている。

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オマリーの代名詞ともいえる、浅くかぶったヘルメット・帽子にこぼれるような笑顔。

阪神時代もヤクルト時代も変わらず、心ときめく存在だったオマリー。

彼への劣情と思い出は過去エントリでねっとりとしたためたので、今回、詳細は省く。

 

さて、2019年7月に神宮球場で開催される球団50周年試合&イベント、Swallows Dream Gameでは歴代のOB戦が開催される。

www.yakult-swallows.co.jp

私も観戦しに行く予定だが、今から追加メンバーとしてオマリーも参戦してほしいと願うばかりである。

 

・・・

ヤクルトといえば、2019年5月31日の時点で15連敗を喫していることから話題は逸らせないだろう。

15連敗…。

2017年同チームのシーズン96敗から翌年のV字回復、どれも記憶に新しく、2019年序盤も好調で「もうヤクルトは弱いチームではない」と安心していたのに。

しかし、すべては秋にならないとわからない。

それまでは一喜一憂(0.5喜99.5憂かもしれないが)しながら応援し、秋になってこのブログエントリを読んで、こんな苦しい時期もあったな、と思える日が来ることを願うのみだ。

 

めずらしくヤクルトの話題になったが、オリックスもがんばってくれ!

 

 

 

記録はつづく