タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その29

2020年、ゴールデンウィーク真っただ中。

ゴールデン要素はゼロに近いわけだが、手元の野球カードの整理も兼ねて、90年代初頭の阪神タイガース捕手のカードを記録したい。

 

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阪神タイガース

背番号 27

山田 勝彦

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1995年ベースボールマガジン社製カード。

1988年にプロ入り。1992年、阪神がヤクルトと激しい首位争いをしていた頃の正捕手としての姿が印象深いが、他捕手とのポジション争いや打撃面で苦しんでいたイメージも強い。なにより92年以降はチーム自体が暗黒期のトンネルの真ん中といった時代だったこともあり、ファンが想像するよりもはるかに苦労をされた選手のひとりではないだろうか。

阪神には2002年まで在籍、その後日本ハムファイターズにトレードで移籍した。私が徐々に野球観戦から離れていった時期とも重なるため、日ハムの選手としての山田捕手の姿はほとんど記憶にない。

2005年に現役引退、その後阪神を含む複数球団でコーチに就任。

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2018年、神宮球場でお見かけした、阪神の一軍バッテリーコーチ時代の山田氏。興奮してぼやけた後ろ姿しかカメラに収めることができなかったけれど、こどもの頃に観ていた選手のお元気な姿を拝見できるのは、やっぱりうれしい。

2020年現在は、阪神の二軍バッテリーコーチを務められている。

 

 

阪神タイガース

背番号 21

関川 浩一

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1994年ベースボールマガジン社製カード。

1990年にプロ入り、前述の山田捕手と正捕手争いをした選手のひとりだ。裏面に書かれているとおり、1993年頃から頭角を現しはじめ、スタメンマスクを被る機会が増えていった印象が強いが、90年代中期からにかけて一塁や外野のポジションにつくことも多くなっていった。

この後も阪神の中堅として活躍されるのだろう、と思っていた1998年。関川捕手と「平成の牛若丸」こと久慈照嘉選手、そして中日ドラゴンズ大豊泰昭選手、矢野輝弘選手とのトレード報道が。「阪神に大豊って!!!」と心底驚いたものだ。

そして矢野選手がのちに阪神監督に就任する点も、数奇なものを感じてしまう。

中日に移籍後の関川捕手は、捕手ではなく外野守備として活躍。リーグ優勝をけん引した選手のひとりとなった。

その後、2005年に楽天イーグルスに移籍、2007年に現役引退。私が関川捕手に再会したのは、ソフトバンクホークス戦中継中、ダグアウトで白い眼鏡をかけた、一軍打撃コーチとしてのお姿だった。現在は三軍打撃兼外野守備走塁コーチを務められている。

 

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山田・関川捕手そろって端正な顔立ちだったこともあり、女性阪神ファンの間では、捕手といえば山田派か、関川派か??という議論がしばしばなされてなかっただろうか。

私はどちらかというと関川派で、もっと厳密にいうと「木戸寄りの関川派」だった。

「木戸」とは、同時期に阪神に在籍した木戸克彦捕手のことである。

木戸捕手と私は実家が近く、親近感を持っていたというのが主な理由だったが、もうひとつよこしまな理由があった。

「山田か関川?強いて言うなら木戸かな」と言っておけば「ツウな野球ファン」な感じを醸し出せて、「そこらのアイドル野球選手にキャーキャー言ってる層とは違うから」とマウントをとることができると信じていた。

もっとも、この頃一番熱中していたのは新庄剛志選手だったので大矛盾しているけれど。

というわけで、最後はこのカードを記録しておこう。

 

阪神タイガース

背番号22

木戸 克彦

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1992年ベースボールマガジン社製カード。木戸捕手がプロ入り9年目の年のカードだが、眼鏡をかけて出場していた姿の方が世代的には馴染みがある。

上記2捕手の台頭で出場機会が減りつつあったが、私が亀新フィーバーがきっかけで野球観戦に没頭しはじめた頃、ホームをどっしりと守る役目といえば、この木戸捕手というイメージが強い。相性の良い湯舟投手が活躍していたこともあったからだろう。

当時小学生だった私からみても「今も昔も阪神一筋」を体現したような存在だったが、まさにその通りで、現役時代は阪神一筋。1996年の引退後も同チームでのコーチ就任、2017年に女子野球日本代表ヘッドコーチを兼任を経て、阪神球団本部長プロスカウトを務められている。本当に「ずっと阪神」の野球人だ。今後も永くお元気で、阪神に携わり続けてほしい。

 

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2020年、ゴールデンウィーク真っただ中。

外出できない大型連休なんて、人生のうちに1度きりの経験であってほしい。

野球場に行きたい。

 

 

記録はつづく