プロ野球カード記録 その24
ブログ開設以来、マイペースにカードを記録してきて24回目となる。今回は、コーチを務められている方々というしばりで、3枚のカードを記録したい。
背番号 23
北川 博敏
のっけからホログラムと笑顔がまぶしい1枚。2008年に球場で配布されたファンクラブのプレイヤーズ・カードだ。
経歴についてはカード裏面のとおりで、また野球好き、特にパ・リーグファンであれば説明不要として通用する選手と言える。プロ入りは阪神タイガースから。しかし、同チームでくすぶっていたところ近鉄バファローズに移籍し、2001年に忘れられない代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放った。
私が大好きなタフィ・ローズも活躍盛りの時期ということもあり、居所はすでに東京に移していたが当該の試合はテレビ中継でハラハラしながら観戦していた。
あの一発は最高だった。
近鉄優勝が決定した瞬間に感極まって大阪の実家に泣きながら電話したのもはっきりと覚えているが、あれもすでに18年も前の話か。
ご本人の話から逸れるまえに軌道修正したい。
笑顔の「イッパツマン」、北川氏は現役引退後は同チームのコーチ、プロジェクトマネジメント、コーチ再就任を経て、2017年から19年まで東京ヤクルトスワローズの二軍打撃コーチを務められた。私自身も、関東でも会えるのか!と喜び勇んで埼玉県戸田市のスワローズ二軍練習場に会いにいったり、西都キャンプでもお目にかかることができてうれしかった。元近鉄ファンかどうかは関係なく、戸田で見学されるヤクルトファンからも、北川コーチは人気があったように思う。やはりあの笑顔とキャラクターには惹きつけるものがあるのだろう。
2020年からは阪神タイガースでのコーチ職に就かれるとのこと。古巣でのご活躍を楽しみにしている。
背番号 69
田畑 一也
1994年ベースボールマガジン社製カード。
裏面に記載の、草野球でプレーしたのちプロテストに合格、というご経歴について初めて知った。ネット情報が正しければ、ご実家で大工をされていたということも、このカードを手にとってから調べたのをきっかけに知った。
プロ入り後は、ダイエーホークス、スワローズ、近鉄、読売という複数の球団を経験されたジャーニーマン、というイメージだ。
2019年時点の直近のご経歴は、スワローズの一軍投手コーチだった。「状況がふるわないチームのコーチあるある」なのかもしれないが、スワローズファンからは辛辣な意見が多く飛び交っていたような印象が強い。
ただ、こうして野球カードを記録するブログを書く上で、そんな「良くないレッテル」が貼られたままの意識を持っていてよいのか。そういう場合はなおさら、その方がどういった経歴を持っているのかを知っておく必要があるのでは、と個人的に考えさせられる。
なにかの縁でカードを手に取った以上、そのカード自体と掲載された選手についての記録や記憶は風化させないようにしたい、というささやかなポリシーがある。「個人的に調べて知る」という枠を超えるものではないし、あくまで趣味のひとつとしてだが。
まあ、コーチひとりをdisったところでいきなりチームは強くはならんでしょうよガハハ。
さて、またまたご本人から話が逸れた。
田畑氏は、2020年からはBCリーグ・富山サンダーバーズの監督就任が決定している。ご出身地である富山でご活躍されることを祈っている。
私も2017年を最後にBCリーグの観戦ができていないので、そろそろ富山再訪をしたいものだ。
背番号 22
田村 藤夫
こちらも1994年ベースボールマガジン社製カード。
プロ入りは1978年で、このカードが制作された年にはベテラン枠であったが、前年の93年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を総ナメしている。
日本ハム、千葉ロッテ、ダイエーホークスの3球団でのご経験があるが、城島健司捕手の手本になるように、との目的でダイエーに移籍したエピソードが印象深い。後年の城島の活躍をみると、その成果に説明はいらないだろう。
1998年の現役引退後は、空白期間をもうけることなく、複数球団でスコアラー、バッテリーコーチとしてご活躍された。
直近では中日ドラゴンズにて一軍バッテリーコーチを務められていたが、2020年は続行されないようだ。別のチームで指導にあたられるのだろうか、それとも初の空白期間として、ゆっくりされるのだろうか。
いずれにしても、この後も野球に携わり、捕手の育成に携わってくれたら…と個人的に願う。
オリックスに来てくれないか…?ないか?
個人的かつ、ささやかな願いを秘めながら。
記録はつづく