タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

Dear 新庄剛志、亀山努

はじめに

当ブログに登場する野球グッズの多くは、中学時代の友達のYちゃんに貰ったものです。

どれも保存状態が良く、またかなり貴重なものがたくさんあります。

Yちゃんへの感謝の気持ちを示すとともに、これらを当時の自分の思い出と、おなじく野球好きの親の思い出など、また全く関係ないこともまじえて記録していこうと思います。

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プロ野球が好きだ。

 

 

野球の試合そのもの、球場の空気、自宅や外出先のテレビで観る解説や映像の雰囲気など、すべてが好きだけど、なかでも特定の選手を舐めるように、あるいは血眼になって観戦するのが私のスタイルだ。

 

野球好きの父親の影響で、幼少期からテレビをつければ野球観戦、たまの休日は父に連れられて大阪球場(時として藤井寺球場)へ、という生活だったけれど、小さいころからこのようにいやらしい目で観戦していたわけではなかった。

父の解説とともに、試合の行方をただ純粋に追う、野球好きの少女だったように記憶している。

 

そんな普通の観戦から、「舐めるように観る」スタイルへとフォーム・チェンジをするきっかけとなったのは、小学校高学年時に訪れた、この選手との出会いだ。

 

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阪神タイガース 

背番号63 新庄剛志

 

この下敷きがリリースされた1992年ごろ、「この世にこんなかっこいい野球選手がいるものか・・・」とこどもだった私を衝撃を受けた。幅広い世代の女性の野球ファンを虜にし、新庄のルックスがきっかけで野球を観はじめたという女性も多かったのではないだろうか。

赤いリストバンドも当時としてはセンセーショナルなアイコンだった。

しかし小学生ひとりで甲子園に通い詰める財力も時間もなく、私は生・剛志に会えないもどかしさを、自作の少女マンガと折原みと風のティーンノベルにして消化(昇華)させた。

いずれもバックネットで観戦している私が剛志に見初められるストーリーだったが、家族にみられてバカにされ、死ぬほど恥ずかしい思いをしたのち即溶解処分したため、作品は現存しない。

また「アンネの日記」に影響されて、ノートを「ツヨシ」と名付けて毎日「Dearツヨシ」からはじまる日記もしたためた。こちらも現存しない。

 

 

同時期のタイガースで新庄と同様に人気を誇ったのがこの選手。

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背番号00  亀山 努

新庄とともに、1990年代初頭のタイガースに「亀新フィーバー」なるムーブメントを巻き起こした一人。甘いマスクでなにかにつけてヘッドスライディングをキメる姿がトレードマークだったし、記憶違いでなければヘッスラバージョンの下敷きもリリースされていなかっただろうか。

確かにかっこよかったけど、当時の私には新庄ほど刺さらなかったのでマンガやノベル制作などのイタい思い出はない。

 

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ちなみにどちらも裏面はいさぎよい白。

 

90年代当時は、今と違って、試合開催日の球場以外に買い物できるグッズショップは少なかったように思う。

こどもだった私がなんとなく覚えているのが、大阪ミナミの戎筋の入り口にあった非公式のタイガースグッズ露店で、そこで背番号5時代の剛志の下敷きを買った気がする。

公式品もさることながら、非公式の選手プロマイドなども多数取扱い、あやしいボンバーパーマのオバハンが「買わへんのやったら触らんといてね」などと言いながら店番していなかっただろうか。

 

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そう、このように、試合以外の至極どうでもいいようなことも含め、私はプロ野球が大好きだ。

記録はつづく