タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その12

プロ野球カード記録、12記事目。

 

最近はパ・リーグのカードについて書くことが多かったので、今回はセ・リーグに絞ろう探っていたら、阪神タイガースの選手カードが見つかった。

さっそく記録していこう。

 

阪神タイガース

背番号0

中野佐資

 

f:id:shibata_pro:20181119142927j:plain

f:id:shibata_pro:20181119142928j:plain

1993年のベースボールマガジン社製カード。

この時代の阪神背番号0代といえば、背番号00の亀山努が真っ先に思い出されがちだが、この中野選手も忘れてはいけない。亀山、新庄、その他のいわゆるシュっとした選手に比べると、丸っこくてどこかかわいらしいという意味でインパクトがあった。 

燃えろ中野 根性だ

男の意地だ 突撃中野

男のなかの男なら

お前のバットで決めてやれ

と、今でも中野選手の応援歌はソラで歌える。

 

なにより90年代初頭の阪神の話題は私の大好物だ。

 

私は、今はスワローズ、バファローズを中心に応援をしているが、小学生高学年頃、大スター・新庄剛志の活躍に影響され、「野球といえば阪神という観戦生活を送っていた。

大阪に住んでいたとう点も大きい。テレビを点ければ阪神戦が中継されていたし、試合以外にも、週に最低2つはタイガース番組が放送されていた。

なかでも「週刊トラトラタイガース「ダイナマイト・タイガース!」が主な2番組だったように記憶しており、私がよく観ていたのは後者だった。ダンカンと遥洋子が司会で、村山実氏などの大物OBや現役選手など豪華ゲストが登場することもしばしばあり、異様に勢いのある番組だなぁ、と子供ながらに思ったものだ。

ダイナマイト・タイガース!の次の時間枠に放送されていたのが、90年代によくあった、ちょいエロ番組「西川のりおののりノリ天国」だったということも味わい深いがそちらの思い出は割愛。

 

 f:id:shibata_pro:20181120164201j:plain

この黄ばんだ画像は、そんな小学生時代(1993年頃)に自分が切り抜いたテレビ欄である。

 

今でこそ勤労の義務を果たし、その稼ぎで好きなだけ球場に出向いて観戦し、イベントに参加してキャッキャしているが、お金も時間もアシも限られていた小学生時代、いつも中継や球団番組を観るだけでは収まらない熱を帯びていた。

テレビ欄の切り抜きですら、当時の自分にとっては重要なチームの情報源であり、もっと言えば野球グッズのひとつとしてカウントしてよいという認識をしていたように思う。

こんな切り抜きをとっておくなんて、ちょっと貧乏であたまがおかしい小学生だった、と言えばそれまでかもしれない。

それでも応援する選手やチームは違えど、そこまで好きだったプロ野球を、ブランクを挟みつつも、今もなお好きであり続け、球場に通い、こうしてブログを綴ることができているのは、幸せなことだ思う。

この切り抜きをした当時の私が、ふたたびプロ野球に夢中になっている現在の私の姿を見たら、すごく喜んでくれるのではないだろうか。

野球観戦を再開するきっかけとなった選手や球団、球場、試合。そしてそのための資金を自分で稼げている自分自身と、理解を示してくれている周囲への感謝を忘れてはいけない。

 

つい、冗長で気持ち悪い脱線をしてしまったが、これもオフシーズン特有の症状なので仕方がない。

 

中野選手の話に戻そう。

成績についてはカード裏面に記載のとおり、レギュラーより代打でたまにみる…といった具合で、残念ながらこのカードが発行された年に現役を引退。

現在の状況については個人的にあまり好ましくないウィキペディア頼りになってしまうが、スポーツショップで勤務されているとのことだが、勤続されているのだろうか。

男のなかの男、どうかお元気でいてほしい。 

 

 

阪神タイガース

背番号2

松永浩美 

f:id:shibata_pro:20181119142956j:plain

f:id:shibata_pro:20181119143002j:plain

同じく1993年ベースボールマガジン社製カード。

このカードを手に取ったとき、「出たよ浩美…」と思わずつぶやいた。

この時代の阪神では思い入れの強い選手のひとりなのだ。

 

在籍時の成績云々よりも、オリックスから阪神に移籍してきたのにたった一年で国内初のFA権行使、憎まれながらダイエーにさっさと移っていったジコチューおじさん、というイメージがこどもの頃の記憶として刻まれている。しかしこれも当時自分が大阪に住んでおり、松永のイメージを悪くするような阪神サイドに偏った報道ばかりに触れていたことが大きな原因だ。

そもそもそれらの報道が偏っていたことを知ったのは最近のこと。現在私が応援しているオリックス・バファローズの前身球団のひとつ、オリックス・ブルーウェーブならびに阪急ブレーブスに在籍していた選手ということもあり、改めて松永のことを調べる機会が増えたのだ。

 

阪急時代、私が敬愛する上田利治監督のもとで育ち、活躍した選手だったことを知り、またブルーウェーブ時代に「福良・遊ゴロ」で新人だった田口壮をベンチ裏でどやしつけたエピソードなどを読むにつれ、前述の「悪のイメージ」がどんどん払拭されていった。

 

そしてなにより、

f:id:shibata_pro:20181121102349j:plain

こちらよりお借りいたします)

 若いころの松永…いや、浩美…

かっこいい。

 

もし阪急時代に今の私が観戦しに行ってたら、相当入れあげていたかもしれない。

そんな浩美、現在は野球アカデミーで指導にあたられていたり、解説をしたり、ドリームベースボールなどの試合をされたりと、精力的に活動をされておられるようだ。(twitterもされているようだしフォローせねば!!)

 

 

今の浩美にも会いたいけれど、阪急時代の浩美の出待ちを西宮スタジアムでしてみたかった。

タイムマシンがあればいいのに。

 

・・・・

オフシーズンならではの歪んだ願望。季節性のこんな症状にも、もう慣れた。

割り切って楽しむしかない。

 

 

記録はつづく