富山でローズと再会し、フランコに恋をした・・・2015年夏 BCリーグ初観戦の記録
今から2年前、富山で人生初の独立リーグ試合観戦をした。
その時のレポート記事を別メディアに寄稿していたが、加筆してここで再掲しようと思う。
2年経つとチームや選手の状況に変化や進歩があるものだが、私自身、この観戦がきっかけで大きな収穫を得ることができた。
1つは、野球観戦を再開したこと。
2000年代のリーグ再編などで球場通いから離れていたが、もう一度プロ野球を観てみようと思い、上京して以来ゆるく応援していたヤクルトスワローズの本拠地・神宮球場に通い始めることとなった(なんとなく通っていたらそのままリーグ優勝した)。NPBだけでなく、BCリーグの試合に行きやすくするために、35歳を過ぎて運転免許も取得した。
もう1つは、20年間音信不通だった友人との交流が復活したこと。
その友人とは、「藤井寺球場に連れていってくれた友達」として本文中に登場するその人であり、当ブログ開設のきっかけとなった野球資料を譲ってくれた本人だ。冨山に旅経つ前日に、思い立って彼女のご実家に電話をかけてみたことにより、20年の時間と大阪-東京という距離を経て、また友達付き合いが再開することとなったのだ。
前置きが長くなったが、私の野球観戦人生において、2015年夏は大きな節目の季節となったことを強調しつつ、本文に戻る。
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2015年7月15日、富山で野球観戦をしてきた。
目的は、タフィ・ローズ(写真)という伝説の助っ人に会うこと。
そのために、富山県は魚津市の球場で、富山サンダーバーズvs石川ミリオンスターズのナイター戦を観戦してきたのだ。
まず始球式から興奮した。バッターはフリオ・フランコ(元千葉ロッテマリーンズ)、キャッチャーがローズ。
90年代パ・リーグを知る者としては、当時のオールスターゲームでも見ることのできない豪華で特別な組合せだ。
2回裏、この日初めてローズの打席。
変わらないバッティングフォームに目頭が熱くなる。
ローズだ。
タフィ・ローズだ。
もう一度会えた。
富山に来てよかった・・・!
開通したての北陸新幹線に乗り込み、富山で初めて経験したBCリーグ。
ローズのみならず、試合もチームも富山も、とってもアツくて満足した。
◆そもそもBCリーグって?
ローズが在籍する富山サンダーバーズと、この日対戦した石川ミリオンスターズ。これらチームはBCリーグ=ベースボール・チャレンジ・リーグに属するチームだが、そもそもBCリーグとは何なのか。
BCリーグとは、この地図にあるように、北陸・甲信越地方5県と関東地方2県、東北地方1県を活動地域とする、プロ野球の独立リーグである。アマチュア野球だと誤認されることも多いが、「プロ野球」の中のひとつにBCリーグというものがある、という言い方が正しい。TVでよく見る「プロ野球」は「日本野球機構(NPB)のプロ野球」である。
(2017年8月現在、上記に加え 栃木ゴールデンブレーブス、滋賀ユナイテッドの2チームが新加入した計10チーム構成となっている。BCリーグの活性化が垣間見えないだろうか。)
ローズのような名選手が復帰し、再度野球人として活躍しつつ若手選手を指導する。そしてその若手がステップアップしてNPBで活躍する、ということも十分あり得るのだ。さまざまな世代の選手にチャンスを与え、首都圏以外で野球を通して地域を盛り上げる団体である。
◆タフィ・ローズとの出会い
私を東京から冨山に行くまでに書き立てた野球選手・ローズに出会ったきっかけをお話したい。
いまはむかし、地元・大阪。
南海ホークスファンの父の影響で、野球観戦が日常の一部という環境で育ち、幼少期にはルールも完璧にマスターした。小学校時代には甲子園の年間指定席をとっていた友達の家族に便乗させてもらい、阪神タイガースを中心にセ・リーグの試合を観戦していた典型的なトラファン少女で、収容人数7万人の大球場・甲子園での観戦にどっぷりつかっていった。
中学進学と同時に、今度は近鉄バファローズの私設応援団メンバーを親に持つ友達ができ、今はなき藤井寺球場に通うこととなった。
収容人数約3万人の球場に、毎回顔なじみの観客と応援団。ひとりでもヤジを飛ばせば球場に響き渡るアットホームな雰囲気は、私にとってすごく新鮮だった。
球場の売店で売られているカップめんに、鮮やかな黄緑色のシャツを着たおばちゃんがお湯を注いでくれる。試合もさることながら、その大きなヤカンがなぜか鮮烈に記憶に残っている。
アツアツのめんをすすりながら試合の行方を追いかける。客席にも余裕があり、ちょっとぐらいツユをこぼしたって誰も気にしない。
大人たちは、持ち込んだ大量の酒でプレーボール前からできあがっているし、シートに寝そべりながらタバコをくゆらせるオッサンの姿もよくみかけた。
応援チーム・相手チーム問わず、選手がミスした時には容赦ない叱責と笑えるヤジ。
そして試合後の「○○電車ではよ帰れ〜」のフレーズ。
おおらかだが時に厳しい、関西パ・リーグを象徴する球場だったように思う。
いつものように友達と何気なく訪れた、そんな藤井寺球場。14歳の私は、来日したての一人の助っ人選手に一目惚れしてしまう。
すぐにフェンス越しにサインをねだり、握手もしてもらった。
それがきっかけでより一層野球が好きになり、その後も藤井寺に通うことになる。
私がフェンスにしがみつくほど夢中にさせた藤井寺のヒーロー。
その選手、タフィ・ローズ。
ここで説明するのも不要なくらい日本野球を盛り上げ、野球ファンにとって忘れられない選手の一人となった。来日してすぐにもらったローズのサインは私にとって最高の宝物となったし、プレースタイル、バイク通勤、関西弁を話す姿すべてが大好きだった。
それから幾数年、近鉄を離れ、巨人、オリックスでプレーしたのち、気づけばローズは日本球界から姿を消していた。
彼の近況を知るべくネット検索するも、息子のバスケチームでコーチをしているらしい、といった薄い情報しか得られない状態が数年続いた。
しかし、2015年6月。
恋焦がれた伝説の強打者が、BCリーグチーム・富山サンダーバーズに選手兼任コーチとして日本に戻ってきたのだ。大仏の背景に、俄然テンションが上がる。
私はすぐさま情報収集にとりかかった。試合場所、日程、出場状況・・・・ ローズにもう一度会いたい。おかえりなさい、と伝えたい。そしてもう一度サインがほしい。富山に行くべきなのか・・・
迷っていた私の背中を押したのが2015年3月に運行開始した北陸新幹線だ。ローズ復帰とほぼ同じタイミングに開通だなんて、運命的すぎる。
こうして 7月15日の試合を観るために、そしてローズと再会するために、富山行きを決意した。
ここで、この日の試合が行われた魚津市(うおづし)について簡単に紹介したい。
富山駅から在来線で東へ30分ほどの場所に位置する、富山湾にすぐ行ける、海の幸と水が美味しい町だ。
絶景の富山湾。4月〜5月には蜃気楼が見られることでも有名。
この日の試合が行われる桃山運動公園の近くには、落水が美しい円筒分水槽(農業用水利施設)もある。
試合前に各所をめぐっては、ローズ、いいところで野球してるんだなぁ・・・といちいち感慨にふけった。
◆桃山野球場へ
魚津駅から車で20分弱の場所にある、山間の桃山運動公園内の球場試合に向かう。試合は18:15開始、開場は16:30。練習の合間にサインがもらえるかも・・・と期待して15:30には球場到着。
球場外、フェンスの隙間から富山サンダーバーズの選手が見えた。
あ・・・!
遠目にも判る。ローズだ。大阪時代よりも大柄になっているけど、間違いなくローズだ!
目頭が熱くなり、身体の震えが止まらなくなっていた。
14歳の私なら間違いなくこの時点で「ローズぅ!」と大声で叫んでいただろうけど、練習中だし・・と大人の分別をはたらかせてじっと見つめるだけにした、というよりも、見つめるだけで精いっぱいだったのだ。
客席開場までまだまだ時間があったため、周辺をうろついたり、なんとなくトイレに行ったりを繰り返して時間をつぶした。
ローズが出てくるかも、と思い何度か球場入口まで戻るも、静かなままだった。(トイレに行っている間に出てきた可能性も十分にあるが)
今がだめでも、試合後に出てくるのを待って、絶対サインもらおう!と意気込んだ。
売売店でグッズを購入したり、周辺の写真を撮るなどして、はやる気持ちを落ち着かせる。
雷鳥がモチーフの球団マスコット、ライティ。結局この日、本人(本鳥)に直接会うことはできなかった。
そうこうしているうちに16:30 となり、ようやく入場開始。
入り口で選手によるグリーティングが。選手とファンの距離が近くて驚いた。
わくわくしながら一塁側内野席前列に腰をかける。
フィールドでは、この日の対戦相手・石川ミリオンスターズが最終仕上げに入っていた。
ローズもすごいが、このフランコも、ロッテマリーンズやメジャー、他国リーグでかなりの活躍をつづけたプレーヤー。2015年当時、56歳で現役を続けていたレジェンドだ。
(2017年8月現在、韓国プロ野球KBO ロッテジャイアンツの一軍バッティングコーチを務めており、2018年NPB 千葉ロッテマリーンズの監督就任説もまことしやかにささやかれている)
一度藤井寺の試合で見たことがあったが、スタイルが全く変わっていない。
いやらしい熱い視線を送っていると、微笑み、手を振ってくれた。ハキュン!
試合開始時間が近づき、観客数も少しずつ増え、応援団も登場。近鉄ユニフォーム姿のファンも数人いた。一人の方にお話を聞くと、やはりローズのファンで大阪から来られたとのこと。新旧ファンから人気なのだ。
試合開始20分前、スタメン発表。ローズは指名打者で4番だ。
そしてローズもフィールドに姿をあらわした。
◆試合開始
定刻の18:15となり、いよいよプレーボール。
この日はTIMのレッド吉田氏による始球式が行われ、初盤から場内が盛り上がる。
そして冒頭のとおり、私にとって夢のような組合せがバッターボックスに。
念願のローズ初打席。バッターボックスに入る前から大声で声援を送る私。藤井寺球場よろしく声が響き渡る。
この姿をもう一度見たいと思ったファンは、きっと私だけではないだろう。
ローズ、おかえり!
観客席もなかなかの熱気。
イニングの合間に、ボールを投げてグッズをもえるファン参加型イベントをはさみつつ、試合はサンダーバーズのペースで順調に進んでいった。
しかし、6回だっただろうか、サンダーバーズのピッチャー・大家友和が、牽制中の2塁ランナーと揉める事態が発生する。
フランコ監督が主審に注意を促しにベンチから出て来た。それに対してホームベンチのローズが激しくクレームをつけ始める。選手当人たちよりも、フランコとローズがヒートアップする。
緊迫しつつもホットなシーン・・・たとえ数万人の観客がいる試合じゃなくても、変わらずアクティブに野球に取り組むローズとフランコに、しぶとく目頭が熱くなってまう。
肝心の試合はというと、5回表に石川ミリオンスターズに2点返されるも4ー2で富山サンダーバーズの勝利。ローズの華麗なヒットも見れたし、両チームともエキサイティングなプレーを見せてくれた。良い試合だった。
ピッチャー大家へのヒーローインタビュー。
これでこの日の試合が全て終了した。ちなみにご存じの方も多いようにこの大家も、横浜、メジャーを渡り歩いてきた猛者だ。あらためてゴージャスなメンバーによる試合だったと実感した。
(この1か月後、大家はサンダーバーズを退団、福島ホープスを経て米マイナーリーグに所属後、2016年に現役引退している)
試合後の出口では、選手によるお見送りも。(ローズはいなかった。人気すぎて人だかりができるのを防ぐためだろうか)
この頃には、出待ちをしてローズのサインをもらわねば!という意気込と執着が消えていた。
もちろんタイミングがあえばもらおう、という思いはあったけれど、野球そのものを楽しんだ満足感の方がはるかに勝っていたのだ。
過去に素晴らしい活躍をみせた近鉄のローズ。
そして今もなお富山でヒットを量産しつつ、コーチとして若手の面倒を見る偉大な野球人だ。 けれど、ローズだけにサインをねだって追いかける私の執着は、野球ファンとして、ローズファンとして、正しい流儀ではないように感じはじめた。
過去に活躍した選手が、これからの野球シーンを支える若手を育てる。大物選手の入団で集客力が増えることにより、このサイクルがより活性化するだろう。
昔からのスター選手を擁しつつも、これからを担う若手選手に挑戦の機会を与えるチーム全体、およびリーグを応援することが、大好きな野球の発展に繋がるのではないだろうか。
ちなみに今回の試合を通して目を引いた若手選手は、富山サンダーバーズのニック・エーキンズ選手。
この日は無安打だったが、ローズのコーチングにより打率を上げている選手の一人だ。
ニック、応援してるよ!
(ニック選手はこの試合の2週間後にサンダーバーズを退団している。2017年現在、野球を続けているかどうかの情報を得ることができない)
試合を純粋に楽しみ、ドキドキしながらネットの向こうにいる選手に声援を送る・・・
この日、富山で14歳の自分に戻れたような気がした。
◆BCリーグの試合を観に行こう
今回が初めての独立リーグ試合観戦だったが、試合自体はNPB同様のテンポで非常に楽しめた。
各チームの応援団といっしょになって声援を送る。地元ファンの温かさ、そして熱気を身近に感じられる。
いいな、野球。
いいよ、BCリーグ。
私のように、昔好きだったスター選手に会いに行くもよし、これから期待される若手選手の成長を見守るもよし。
また入場料が1000円前後と手ごろな価格なので、野球観戦ビギナーにもおすすめだ。
北陸以外にもリーグがあるし、私も今度、埼玉の武蔵ヒートベアーズの試合に日帰りで行こうと思う。
みんなで観よう、BCリーグ!
◆◆◆◆◆◆
おまけ
試合後すぐに球場から出てきたフランコ監督と2ショット。
写真を撮るとき、やさしく肩を抱き寄せられた・・・そして私の名前をきいてくれ、別れ際に「シバタ、会えてよかった。気をつけてな!」と声をかけてくれて・・・
この時ばかりはローズのことを忘れ、フランコに恋してしまった。
目頭以外のところもアツくなる、そんな北陸の夜だった。
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以上が、2015年夏 BCリーグ初観戦の記録である。
冒頭にも書いたように、この後東京に戻った私は、NPB、BCリーグ問わず、それまでのブランクを埋めるように野球場に足を運ぶこようになり、今に至る。
本文だけ読み返してみると、キラキラとした北陸の思い出として綺麗につづられているのだが、その一方でタフィ・ローズ本人は、富山サンダーバーズとの選手兼任コーチの契約を残したまま、2016年シーズン前に、米国での自主トレーニング中の怪我を理由に音信不通になったままである。
本人の意図など知る由もないが、着実にコーチ実績を積むフランコとの違いが歴然としていて、哀しくなってしまう。
(2020年6月追記→タフィ・ローズが見つかりました)
タフィよいずこ。
当ブログの「タフィ・ローズを捜しています」タイトルとコンセプトは、ここから始まっているのである。早く再会して、ブログタイトルを「野球大好き☆キラキラOL日記」に変えたいと願うばかりだ。
記録はつづく