タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

プロ野球カード記録 その34

9月もまもなく終わろうとしている。

例年であれば、少し前まで汗だくで観戦していた球場で、ふと肌寒さを感じ、季節の移ろいとともにシーズンの終わりを体感し始める時期だ。しかし2020年は遅れてのシーズン開幕以来、そうした季節感を堪能することもなく、淡々と時間だけが過ぎていって、とても寂しい。

ただひとつ、例年と変わらないものと言えば、オリックス・バファローズの順位ぐらいだろう。

しかし、そんなオリックスファンお得意の自虐ネタとは裏腹に、9月に入ってからの同チームの勢いには目を見張るものがある。 

9月15~17日にほっともっとフィールド神戸で開催された「THANKS KOBE ~がんばろうKOBE 25th~」メモリアル試合をきっかけに、チームの雰囲気、得点力は上昇し続けているように感じる。わけても15日の試合での、育成出身の大下誠一郎選手のプロ初打席初ホームランをおかずに、当面は何杯もメシが食えそうな勢いだ。

1995年当時のオリックス・ブルーウェーブのユニフォームに身をつつんだ中嶋監督代行の指揮のもと、楽天相手にカード勝ち越し。90年代は近鉄ファンであった私だが、今となってはすべてが懐かしく、かつての対戦相手であった復刻ブルーウェーブを全力で応援できた。

 

そんなブルーウェーブのメモリアル試合の記憶があたらしいうちに、同チームつながりのカードを記録したい。

 

オリックス・ブルーウェーブ

背番号 21

野田 浩司

f:id:shibata_pro:20200925114649j:plain

f:id:shibata_pro:20200925114653j:plain

1995年ベースボールマガジン社製カード。

プロとしてのスタートは1988年、阪神タイガースから。「打てない投手」としてキャリアを着実に積んでいた。1992年オフシーズンにブルーウェーブへの移籍が決まった際は、連日スポーツ紙をにぎわせていたように記憶している。というのも、松永浩美選手とのトレードであったことが大きい。

阪神ファンは松永氏に対する期待に沸き立ち、また「打てない投手」のパ・リーグ移籍に安堵を感じていた阪神以外のファンも多かったはずだ。トレード相手の松永氏がその後わずか1年で阪神を去って物議を醸した話は割愛するとして、野田投手は、90年代関西プロ野球のトレードシーンを大きく彩った人物である。

「打てない投手」としての存在感は移籍後も変わることなく、初年の最多勝利投手のタイトル獲得を皮切りに、1995年、1996年ブルーウェーブの優勝にも大きく貢献した。1990年代のブルーウェーブ、そしてパ・リーグを代表する投手であることに違いない。

2000年に同チームで現役を引退。解説としてのお姿をよく拝見する。優しい語り口が結構好きだったりするし、オリックス・バファローズのイベントにもよくゲストとして登壇されており、今でも身近なブルーウェーブ戦士である。

コロナが収束して、実地で開催されるイベントで野田氏がまた登壇される機会があれば、ぜひ参加したいと思う次第だ。また神戸・三宮でまる九という飲食店も経営もされているようなので、ほっともっとフィールドでの試合観戦に合わせて訪問する機会を探ってみてもいいかもしれない。

 

オリックス・ブルーウェーブ

背番号 6

田口 壮

f:id:shibata_pro:20200925114658j:plain

f:id:shibata_pro:20200925114702j:plain

 1996年ベースボールマガジン社製ダイヤモンドカード。のっけから超余談かつ超ローカル談であるが、大阪は堺市、津久野駅前にあった天牛書店という、知る人ぞ知る本屋で購入したものである。

周りの友達がそろってSMAPに夢中になるなか、小遣いを握りしめてパ・リーグの野球カードを買うことは、この当時としてはなかなかの異端であったように思い出す。それを考えると、アイドル的存在の選手も多く輩出していてグッズも充実している現在のパ・リーグは、十分「マジョリティ」の位置づけなのではないか、と感じる。

 

さて、田口氏に話を戻す。

ドラフト1位でブルーウェーブに入団したのが1992年。前述の野田投手と同様、ブルーウェーブの優勝に貢献した一員で、バッティングと守備が光る名選手。イチローフィーバーもあいまって、全国区のメディアに露出する機会も多く、華美なイメージを主に持っていた。

しかし今回このカードを手に取り、あらためて同選手のキャリアについて調べ、デビュー当時はスローイング障害や突発性難聴に苦しんでいたことを初めて知った。90年代ブルーウェーブ時代~00年代メジャーでの活躍という輝かしい一面以外にも、ファンからは見えない苦悩があるのだ。それは田口氏に限ったことではない。昔、プレーを拝見していた選手の新たな一面を、今再発見できるのは、このカード記録のブログ記事執筆の醍醐味だと思っている。

メジャー・マイナーリーグでキャリアを積んだのち、2010年にバファローズになった後のオリックスに復帰。チームのメンターとして活躍し、2012年に現役を引退された。

現在はオリックス・バファローズの一軍野手総合兼打撃コーチを務められている。2020年8月に、中嶋聡監督代行が就任された際、田口氏と監督代行がダグアウトに並ぶ様子をみて、ああ、あの頃ブルーウェーブの面々だ、とうれし懐かしい気持ちになった同世代のファンは多いはず。もっとも当初は次期監督に就任するのでは?と予想するファンも多かったが、ポジションに関わらず、今のオリックスを良い方向へと導いてほしいと願う。

 

・・・

当エントリ執筆現在の2020年9月25日。オリックス・バファローズはなんと一週間負けなしという好コンディションを保っている。

観客は声援をおくれないけれど、球場には大下選手の声が響き渡っている。

 

オリたちの開幕は、9月15日やったんや。

そう思ってもいいのではないか。

いや、まあ、遅すぎるけど。

ここまできたらいわゆる「ポジ要素」盛り盛りで楽しんだもの勝ちだろう。

 

 

記録はつづく