タフィ・ローズを捜しています

最愛の野球選手であるタフィを超える選手を捜しながら、80年代、90年代のプロ野球の記憶などを記録していきます。

ノムさん ネバ― ダイズ 野村克也氏 逝去によせて

2020年2月11日の訃報以来、自分なりのお別れのしかたをずっと模索していた。

 

野村氏…ノムさんが指揮を執られた各球団のホーム球場、キャンプ地では献花台が設置され、また2月16日に執り行われる青山での本葬儀には、一般参列もできるとのことだ。

せっかく東京にいるのだし、野球ファンの端くれとして、いずれかに参加させていただこうかとも思ったが、どちらも行かないことにした。

行って、そこで泣くしかできないことが嫌なのだ。

参列して、泣くのが悪いという意味ではない。

はたから見ると、行かないという決断が「冷たい、ファンとして間違っている」と思われることもあるかもしれない。

参列したくない、というより同氏の死を認めたくない、お別れしたくない、と言った方が正しい。ずっとそこにいて当たり前の野球人であってほしい。

 

ノムさん ネバ― ダイ

献花、葬儀への参列はしたくない。

ありがとうございました、さよなら、という言葉も言いたくない。

 

・・・

一番思い出深いのは、やはりヤクルトスワローズの野村監督としての手腕と実績だ。

90年代初頭~半ばというと、私は新庄剛志選手が在籍していたのが大きな理由阪神タイガースを応援していた。1992年、小学5年生で初めて訪れた甲子園、対戦相手は水色のユニフォームのチームで、あっさり負けを喫したことを覚えている。野村ヤクルトは脅威でしかなかった。なんなら水色という色自体も嫌いになるほどだった。が、それと同時に、巨人とはちがう雰囲気を持った、東京のスタイリッシュなチームというイメージで密かに憧れを抱く対象でもあった。(ヤクルトの選手たちが、主にフジテレビ系列の番組に出演する機会も多かったことも大きい)

 

二番目は、阪神タイガースの監督としての姿。

90年代後半、私は完全に近鉄バファローズのファンとなっており、熱心に阪神を応援することはなくなっていたものの、前述の新庄選手の起用方法には毎回、驚愕するものがあった。あの新庄にピッチャーをやらせる…あの新庄が敬遠球サヨナラヒットを放つ… チームとしての成績は振るわなかったけれど、かつて私が愛した新庄選手を輝かせてくれたから、「敵の親玉」的認識が強かったノムさんのことが大好きになった。

 

三番目は、南海ホークス時代の姿。

2017年に私がバファローズ応援を再開し、昭和時代の関西パ・リーグについて目を向け始めて以来、避けて通れない人物として、書籍や南海ファンの父親の思い出話に登場するホークス時代のノムさんこどもの頃に訪れた、かつての大阪のランドマークのひとつであった大阪球場で活躍したノムさん。多くはモノクロの動画や写真であるが、南海ユニフォーム姿はとてもかっこよい。その姿をモノクロでなく、生で観戦した父親や、その世代の野球ファンがとてもうらやましい。

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大阪球場のホームプレートが実際あった場所に設置されたレリーフ


世代的に南海時代、現役選手としてのノムさんのプレーを生で観ることはできなかったが、ノムさんの教え子や、精神を受け継いだ野球選手のプレーをずっと観てきたし、この先も観ることができるではないか。 

数々の著書や、出演されたテレビ番組などで「人を遺すは上」(優れた人材を育て上げることがなによりの偉業という意味だと解釈している)とおっしゃっていたが、ノムさんは文句なしに、野球選手をはじめとする多くの人材を育てあげた、上の上、テッペンの存在だ。ノムさんのおかげで野球観戦の楽しみを享受できているところは大きい。

そんな教え子、継承者が各球団で活躍するなかで、私が特に注目するのは、今季から南海時代のノムさんの背番号である”19”を引き継いだ、ソフトバンクホークスの甲斐捕手だ。毎年行われる、同球団対オリックス・バファローズの復刻イベント「KANSAI CLASSIC」では、南海ユニフォーム姿の甲斐捕手が、打席やリードで試合を盛り上げてほしいと願う。

 

・・・

野球を観れば、ノムさんの精神に触れることができると信じている。

選手として、監督としてノムさんが活躍した各球場で野球を観て、一喜一憂したい。

2020年シーズン、早く開幕してくれ。

 

ノムさん ネバ― ダイ

献花、葬儀への参列はしない。

ありがとうございました、さよなら、という言葉も言わないことにした。

 

また野球場でお会いしましょう。

 

・・・ 

時間の経過とともに、今、この瞬間とはまた異なる想いや感情が湧いてくることがあるかもしれない。

どうしても寂しくなったら、また南海ファンの父や、ノムさんの現役時代を知る方に話をきいて、へえ、そうだったのか、と思ったり、自分と同年代やもっと若い野球ファンと、それぞれの世代の持つノムさんの思い出を共有したりして気持ちを落ち着け、私はまた、野球を観続けるのだろう。 

 

 

記録はつづく